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結婚が決まったら、考えることはたくさん。

両親や職場への報告、式場探し、結婚指輪やドレス選び……。毎日がめまぐるしく過ぎていきます。

そんな準備期間によく耳にするのが、「結納(ゆいのう)」

なんとなく堅苦しいからといって、最近では両家顔合わせの食事会などにして結納を省いてしまう人も多いのでは?

結納を行うにしても、行わないにしても、結納とはどのようなものなのでしょうか。

きちんと知っておきたい風習の一つではあります。

 

結納の起源

結納の起源は、およそ1,400年前の仁徳天皇の時代までさかのぼります。

仁徳天皇の皇太子(後の履中天皇)は羽田矢代宿禰(はたのやしすくね)の娘、黒媛(くろひめ)を好きになり、妃に迎えようとして納采(のうさい)を行ったと『日本書記』には記されています。この宮中儀礼のことを「納采の儀」として受け継がれています。

納采」とは、結婚の話がまとまると男親が女親に挨拶にうかがい、贈り物をすること。これが、現在の結納の起源にあたります。

 

平安時代に貴族が行っていた婚礼儀式に中国の婚礼制度がとり入れられ、室町時代には武家や公家に広がり、小笠原流や伊勢流などに体系化されていきました。やがて江戸時代に入ると、裕福な商家では結納・結婚式の行事が行われるようになりました。庶民の間でも広く行われるようになったのは、江戸時代末期から明治時代になってからとされています。

 

■気になる結納品の中身

結納品には、円満・長寿・子宝など繁栄を象徴するさまざまな縁起物が揃えられています。また結納品には、それぞれ願いや意味が込められています。

地域によってさまざまな違いが見られますが、今回は関東式の一般的な9品目をご紹介します。

 

①長熨斗(ながのし)

「のしあわび」とも呼ばれ、もともとはあわびを薄く伸ばしたものでした。古来よりあわびは、不老長寿を象徴する貴重な食材。贈りものへの祝意も込められています。

 

②寿惠廣(すえひろ)

一対になった純白の扇子のこと。白は純潔・潔白・純真無垢を示し、を広げた形は繁栄を象徴する末広がりであることから、家族が末広がりに栄えてほしいとの願いが込められています。

 

友白髪(ともしらが)

白い麻紐や麻糸のこと。夫婦がともに白髪になるまで添い遂げられるようにと、夫婦円満や長寿を願う意味があります。

 

④子生婦(こんぶ)

昆布のことで、「よろこぶ」の意味が込められています。昆布は生命力が強いことから、子孫繁栄を願って贈られます。昆布も奇数を包みます。

 

⑤寿留女(するめ)

スルメのことです。日持ちがし、噛めば噛むほど味がでることから、夫婦の末永い縁を願う意味があります。

 

⑥勝男節(かつおぶし)

鰹節のこと。武家の保存食や非常食として常備されていたもので、武運長久の縁起物としての意味があります。

 

⑦家内喜多留(やなぎだる)

もとは本来の柳の樽にいれた祝い酒のこと、現代では「酒料」として現金を包みます。

 

⑧金宝包(きんぽうづつみ)

「結納金」のこと。男性側からは、「小袖料(こそでりょう)」女性側から結納金を贈る場合は、「御袴料(おんはかまりょう)」という名前で贈られます。

 

⑨目録(もくろく)

結納品の品目数を記したものです。結納品の明細書のようなもので、関東式では結納品のひとつに数えます。

 

以上が、関東式の一般的な結納品です。

いずれも夫婦の幸せと繁栄を願った品が多く、おめでたい漢字をあてて、縁起の良い意味が込められています。関東式で正式なのは9品目ですが、「家内喜多留(やなぎだる)」と「勝男節(かつおぶし)」を省いて7品目とすることもあります。

さらに省略する場合は、「寿留女(するめ)」と「子生婦(こんぶ)」を省いて5品目とします。

 

■結納に使われる水引

結納には、「淡路結び」の水引のかかったご祝儀袋を選びます。淡路結びはいちど結ぶと解くのが難しいことから、「一生に一度」という意味があり、縁起物の鮑に形が似ていることからも末永く良いお付き合いを、という願いが込められたお祝いに適している結び方です。

結納の起源や、結納品にこめられた想いを知ることで、よりこれから家族になるご両家の絆が深まりそうですね。

 

 


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古くから詩歌や俳句の材料になってきた、中秋の名月。

現在は太陽の動きが用いられていますが、それまではの満ち欠けが暦に用いられていました。

そしてやわらかな光を放つに魅せられた先人たちは、季節や風情に思いを馳せ、さまざまな名前をつけてきました。

なかでも十五夜は「中秋の名月」とも呼ばれ、古くからお月見の風習とともに親しまれています。じつは、この十五夜以外にも「十三夜」「十日夜」と呼ばれるの綺麗な夜もあることをご存知でしょうか。先人たちがつけた名前と照らし合わせながら楽しむと、明かりもより美しく感じられるかもしれません。

年に一度だけの十五夜

十五夜とはが満ち欠けする周期の齢の上で、満月の時を表すことば。新月を1とし、満月はちょうど15日目にあたるのが由来です。

ただし、十五夜というのは旧暦の「八月十五夜」のことを指し、ほかの満月を十五夜とは呼ぶわけではありません。

旧暦では、7月~9月が秋とされていました。

7月・8月・9月の真ん中は8月。さらに8月のちょうど真ん中にある15日ごろが「中秋の名月」とされていました。ただ、現在の新暦は旧暦とズレがあることから、9月7日から10月8日のあいだの満月を十五夜としています。

満月は豊穣(ほうじゅう)の象徴とされており、収穫されたばかりの里芋をはじめ、収穫への感謝や豊作祈願の意味を持って秋の実りをお供えします。里芋はどんどん増えるので、古くから子孫繁栄の縁起物とされ、祝い事に用いられてきました。こうしたことから、十五夜の「芋名月」とも呼ばれています。

「十三夜」と「十日夜」

さて、気になるほかの2つの月夜について説明していきましょう。

十三夜

まず十三夜ですが、こちらも同じく月齢からくる言葉で、新月から数えて13日目の月のことを指します。

が8割ほど見え、2割ほどが影になっている状態です。こちらは「九月十三夜」のことを指し、今の暦に合わせると10月ごろにあたり、中秋の名月の後にくることから「後の月」ともよばれています。

また、ちょうど栗が実る時期であり、食べごろになった栗や枝豆をお供えし収穫をお祝いすることから、「栗名月」「豆名月」という呼び方もあります。

十三夜は、十五夜と比べるとマイナーですが、片方だけを祝うと「片月見」また「片見月」など、縁起の悪いことだとされていたそう。それほど、昔は十五夜と同じくらい大切に重んじられていた日だったようです。

十日夜

次に十日夜ですが、呼び方の由来についてはもうおわかりですね。そう、新月から10日目の月を指します。

別名「三の月」ともいい、6割ほど見える状態です。旧暦の10月10日の夜のことで、農作物に感謝する日とされています。

この十日夜は田畑にいらした神様が山へお帰りになる日とされており、稲などを捧げます。また田んぼを守ってくれていた、かかしにも感謝を表し、お餅を捧げたり一緒にお月見をする地方もあります。

 

お月見に欠かせない月見団子

お月見の際に欠かせないのが、月見団子

けれど、なぜ私たちはお月見の際に月見団子をお供えするようになったのでしょうか。

お月見の日に団子を供える習慣は、江戸時代から始まったといわれています。

お月見をする際に「来年以降も豊作でありますように」という祈りをこめて、収穫物である米の団子を用意したのが由来だとされています。また、かつて子供は月の使者であると考えられていたことから、子供が団子をとりやすいように縁側に備えるようになったという逸話もあるとか。

 

月見団子は、丸ではない?

月見団子といえば、真ん丸のものを思い浮かべがちですが、じつは月見団子の形はまん丸ではありません。

なぜならば、ピンポン玉のような真ん丸の白い団子は、亡くなった方の枕元に供える枕団子を連想させてしまうため。そのため、月見団子は真ん丸ではなく、ほんの少しつぶすようにして形を作ります。

なお、月見団子を供える数については、十五夜にちなんで15個、1年の満月の数に合わせて12個などまちまちです。

津軽びいどろ
金彩盃 -月明-

ちょうど秋の夜風が涼しく、気持ちがいいこの季節。十五夜に込められた意味や十五夜以外の月の名前を知ったうえで迎えるお月見は、いつもより味わい深く楽しめるかもしれません。

 


 

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古来から日本人にとって切っても切り離せない文化のひとつである「お彼岸」。

秋のお彼岸は、秋分の日(9月23日ごろ)とその前後3日間を含んだ7日間この期間は仏壇や仏具、お墓をきれいにすることで先祖への供養を行うとともに、秋の収穫に感謝をささげます。

 

特に「お彼岸」と聞くと、仏前に供えるおはぎやぼたもちを思い浮かべる方が多いかもしれません。
秋のお彼岸では「おはぎ」をご先祖さまへお供えしますが、春のお彼岸には「ぼたもち」をお供えします。

 

「おはぎ」と「ぼたもち」。
この2つにはどのような違いがあるのでしょうか。

 

おはぎとぼたもちは、基本的に「同じもの」

 

「おはぎ」と「ぼたもち」の2つは基本的に同じものですが、それぞれ食べる時期が異なります。

 

秋は萩の花の季節が近いことから「御萩(おはぎ)」、いっぽう春のお彼岸は牡丹の花の季節に近いことから「牡丹餅(ぼたもち)」と呼ばれるようになりました。

また、それぞれお花に由来することから形にも違いが見られます。
萩は小さくてやや細長い花を咲かせるのに対して、牡丹は大きくて丸い花を咲かせます。このことから、ぼた餅は大きめで丸い形、そしておはぎは小ぶりの俵型をしています。

また、おはぎとぼたもちはあんこの収穫時期に合わせて使用される種類が異なります。材料となる小豆の収穫時期は、9~11月

そのため秋のお彼岸では、収穫したての小豆は皮までやわらく食べられる粒あんとして使用し、春のお彼岸では、固くなってしまった皮を取り除いてこしあんとして使用します。

 

なぜ、あずきを使うの?

お彼岸におはぎやぼた餅をお供えするようになった由来には諸説あります。ただそのひとつに、小豆の赤い色には魔除けの効果があるといわれ、邪気を払う食べ物として先祖へお供えをするとされています。

また、もち米とあずきの2つを「合わせる」という言葉の語呂から、先祖の心と自分たちの心を「合わせる」という意味もあると考えられています。そして、おはぎに使用される砂糖は、かつて非常に高価なものであったため、その砂糖を使用するおはぎはたいへん貴重なものでした。

 

じつは夏や冬にも呼び方がある

季節によって呼び名がことなるおはぎ(ぼた餅)ですが、じつは夏は「夜船(よふね)」、冬は「北窓(きたまど)」という呼び名がそれぞれあります。それぞれの由来は、以下のとおりです。

 

・夜船(よふね)

(餅を)いつついたのかがわからない


(夜だから船が)いつついたのかがわからない

【夜船】

 

・北窓(きたまど)

(餅を)いつついたのかがわからない


(北向きの部屋では月がみえないので)月知らず

【北窓】

 

このように、おはぎは臼と杵を使って餅つきをすることなく作れることから、つきしらず」ということば遊びに由来していることがうかがえます。

古来よりわたしたち日本人は、ご先祖様へと通ずるとされるお彼岸の時期に、感謝の気持ちやさまざまな祈りをこめておはぎやぼた餅をつくってお供えをしていたのでしょう。

ことしの秋のお彼岸は、日本語ならではの風情とともにおはぎを味わってみてはいかがでしょう。

 

「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草」

1月7日は、桃の節句や端午の節句とならぶ五節句のひとつ、「人日(じんじつ)の節句」。

この日は、春の七草を入れた七草粥(ななくさがゆ)を食べる日として知られています。

 

人日の節句の由来

“人日”というあまり聞きなれないこの言葉は、五節句のもとである中国の暦に由来しています。

古来中国では、正月の1日~6日まではそれぞれ動物を当てはめて占う日、そして7日を「人を占う日」としたところから、読んで字のごとく「人日」といわれるようになったとされています。

 

日本では平安時代ごろに伝わり、江戸時代には「人日の節句」が五節句のひとつに数えられるようになったようです。

 

 七草粥を食べる理由

もともと七草は、「秋の七草」を指すもので、春の七草は「七種」と書かれたようです。

七草粥は、お正月のおせち料理で疲れた胃を休め、邪気を祓うものとされています。とはいえ、最近はおせち料理を食べる家庭も減り、七草粥を食べるという方も少ないかもしれません。しかし、それぞれの植物はどれも消化が良く栄養素も含まれ、青菜の少ない冬の時節に栄養補給ができるという効果もあるのです。

そんな春の七草、それぞれどのようなものか、ご存知ですか?

 

《春の七草》

せり(芹)

セリ科の植物で、独特の香りがあり、その香りの成分には肝機能を強める効果などがあるとされています。

「競り合うように生える」ところから「せり」という名前がついたと言われています。

鉄分が多く含まれており増血作用があるとされ、食べる際はおひたしや鍋の具材などに使い、シャキシャキとした食感を楽しむことができます。

 

なずな(薺)

アブラナ科の植物でぺんぺん草とも呼ばれます。

茎から無数に伸びる実の形が三味線のバチに似ていて、三味線を弾く「ぺんぺん」という音から「ぺんぺん草」という名がついたそうです。

解熱・利尿作用があるとされています。

 

ごぎょう(御形)

ごぎょうとは、「ハハコグサ(母子草)」のこと。

現在、草餅を作る際には蓬(よもぎ)が用いられますが、古くはこのごぎょうが使われていました。

 

はこべら(繁縷)

はこべらはナデシコ科の植物で、「ハコベ」を指します。

おひたしにして食べることもあります。

 

ほとけのざ(仏の座)

キク科の植物で、「コオニタビラコ(小鬼田平子)」を指します。

湿地に自生しており、現在、一般に「ホトケノザ」と呼ばれているものとは別の植物です。

 

すずな(菘)

すずなは「カブ」のことです。

消化酵素のアミラーゼが多く含まれており、胃腸を整える効果があるとされています。

 

すずしろ(蘿蔔)

すずしろは、「大根(ダイコン)」の別名です。

消化酵素のジアスターゼが多く含まれており、かぶと同様に、消化を助け胃腸を整える効果があります。

 

邪気を祓うというだけでなく、消化を助け、胃腸を休めるという理にかなった意味のある七草粥。

カブやダイコンなど比較的身近なものだけでなく、道端に生えているような、食べられる野草もたくさんあるのです。

 

自分でひとつずつそれらを探すとなるとなかなか見分けがつかず大変かもしれませんが、お正月になると七草セットを売るスーパーなども。それを買えば簡単に七草をそろえられるので、ぜひ今度のお正月には七草粥を作ってみてくださいね。

 


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日ごろから、多くの人々が使っているメガネ。

そんなメガネにはさまざまな種類があり、寿命やメリットやデメリットが異なるのをご存知でしょうか。使い方のポイントを押さえることで、お気に入りのメガネを長く愛用することができるでしょう。

この記事では、メガネの素材に使われるアセテートやセルロイドの特徴から違いについてご紹介します。

 

メガネの素材は大きく分けて2種類、 素材ごとの特徴は?

メガネの素材にはメタルフレームとプラスチックフレームの2種類に分けられますが、それぞれどのような特徴があるのでしょうか。

メタルフレーム

ここでは、メタルフレームの特徴についてご紹介します。

フィットしやすく、軽量のため付け心地がよい

メタルフレームは、フィットしやすく、軽量のため付け心地がよいという特徴があります。付け心地がよく軽いのは、フレームの金属(メタル)にあります。プラスチックより金属は加工しやすく、曲げるなど細かい調整ができます。そのため、その人にフィットするメガネを作ることができます。

 

また、金属は加工しやすいことから、フレームはとても細いのが特徴です。そのぶん軽く、プラスチックと比較しても必要な素材が少ないため軽量な作りが可能です。

 

シンプルなデザインが多い

さまざまなカラーやデザインが多いプラスチックに対して、シンプルで落ち着いたデザインなのがメタルフレーム。メタルフレームは華美な装飾などがないため、上品でどのような洋服やシーンにも合わせやすいのが特徴です。飽きこないデザインのフレームは、年齢を重ねても使い続けることができるという魅力があります。

 

プラスチックフレーム

ここでは、プラスチックフレームの特徴についてご紹介します。

 

①デザインの種類が豊富

プラスチックフレームは花柄から縞模様といった模様や、カラーバリエーションが豊富なのが特徴です。

メタルフレームのように曲げるなどの加工には適していませんが、色をつけたり、模様をつけたりする加工が得意です。

また、少ない数からでも生産可能なことから、さまざまな模様が作れるのも大きな特徴です。

 

②丈夫で壊れにくい

プラスチックフレームの素材には、主にセルロイドアセテートが用いられます。これらの素材は衝撃に強く、キズがつきにくいなどの特徴があります。

現在の多くのフレームには、アセテートが用いられているのが増えています。

 

③金属アレルギーがあっても使用できる

プラスチックフレームには金属が使用されていないことから、金属アレルギーの方でも使えるのが特徴です。ただし、鼻パッド部分などに金属類を使うことがあるため、金属アレルギーの方は使う前に注意が必要です。

 

メガネの素材ごとのメリット・デメリット

メガネはメタルフレームとプラスチックフレームに分けられますが、それぞれメリットとデメリットがあります。

 

メタルフレーム

ここでは、メタルフレームのメリットとデメリットについてご紹介します。

 

メリット

特徴でも紹介したとおり、金属は加工しやすく軽量で着けやすいのが特徴です。シンプルなデザインが多いため、どのような人にも合わせやすいのがメリットです。シンプルで洗練されたデザインは、知的で上品な印象を与えてくれます。

 

デメリット

メタルフレームの素材には金属を用いているため、金属アレルギーの方は使えないデメリットがあります。また、デザインはシンプルなものが多いため、デザインの種類は限られます。

そして、プラスチックよりも金属は高価なため、メガネの価格も高くなる傾向があります。

 

プラスチックフレーム

ここでは、プラスチックフレームのメリットとデメリットについてご紹介します。

 

メリット

こちらも特徴で説明したとおり、衝撃に強く壊れにくいのが大きなメリットです。さらに、メタルフレームよりも素材も安価なため、手の届きやすい価格帯のものが多いという嬉しい点もあります。プラスチックは加工しやすいためカラーバリエーションが豊富で、金属アレルギーの方でも使いやすくなっています。

 

デメリット

プラスチックフレームは壊れにくいというメリットがありますが、その一方で劣化が早いデメリットがあります。フレームは重く、折れても修理できる確率が低いため注意したいところです。

 

素材ごとに違う? メガネの寿命はどのくらい?

人によっては、毎日使うメガネ。そんなメガネは、実際のはどのくらいの年数使えるのでしょうか。

レンズの平均寿命:およそ2年〜4年

一般的にレンズの寿命は、およそ2年〜4年といわれています。キズや紫外線でダメージを受け、レンズのコーティングがとれてしまうことがあります。

 

レンズの平均寿命:およそ2年〜10年

メガネはフレームの種類によって、寿命が異なります。ここでは、種類ごとの寿命についてご紹介します。

 

メタルフレーム

合金:合金の寿命は短く、2年〜3年といわれています。年数が経つと、メッキがはげ始めサビや耐久性が落ちやすくなります。

 

ステンレス:

日本製チタン:日本製チタンは使い方に気をつければ、およそ10年以上もつといわれています。ほかと比較してもサビにくく、劣化しにくい特徴があります。

 

海外製チタン:基本的に日本製よりは耐久性が落ち、メッキの強度も落ちます。

 

セルフレーム

セルロイド:セルロイドは、比較的長持ちしやすい素材ではあるものの、日ごろからお手入れをしていないと、およそ4~5年ほどでひび割れや変色が起こります。

 

アセテート:セルロイドと同じように、手入れを怠るとおよそ4~5年ほどで劣化が始まります。

 

ウルテム:ウルテムはおよそ3〜4年で印刷した柄がとれ、ひび割れや変色が起こる可能性があります。

 

お気に入りのメガネを長持ちさせるためのポイント

メガネは丈夫な作りですが、意外と繊細なものです。

フレームの種類によって寿命もさまざまですが、長持ちさせるためには使い方を意識することが大切です。

 

炎天下や直射日光など、高温になるような場所には注意

メガネは高温に弱いため、炎天下や直射日光などには注意が必要です。たとえば、レンズに太陽光が1点に集中し、収斂(しゅうれん)火災が起こる可能性があります。そのため、車のなかや直射日光にあたるような場所に置くのはやめましょう。

 

左からたたむようにする

基本的に日本のメガネは、左からたたむのが正しいとされています。左からたたむことで、テンプルが正しく閉じるようになっています。テンプルとは、耳にかかる部分のことです。右からたたむとテンプルが浮いてしまい、ケースに入れるとき壊れやすくなってしまう可能性があります。そのため、左からたたむことを意識しましょう。

 

かけるとき・外すときは両手でおこなう

メガネをかけるときと外すときは、必ず両手でおこないましょう。片手でおこなうと、丁番(ヒンジ)と呼ばれる開閉部分が壊れる原因となります。ちょっとしたことでズレや劣化が早まるため、注意が必要です。

 

「レンズを上に」置くようにする

レンズはキズがつきやすいため、机などに置くときはレンズを上にして置きましょう。たたんだ状態のときはテンプルを下にし、開いた状態のときはレンズの上部分を下にして置くのが最適です。

 

汚れがひどいときには水洗いを

メガネが脂や手垢などで汚れているときは、拭くときの注意が必要です。いきなりレンズを乾拭きするのではなく、水で流してからメガネクリーナーで綺麗にします。汚れがひどい場合は、中性洗剤を使うことで落としましょう。最後にティッシュなどで軽く拭いたら、メガネ拭きで仕上げます。

 

雨や汗に濡れたときはすぐに拭く

メガネが雨や汗で濡れてしまったときは、すぐに拭きとりましょう。そのままにしておくと、サビたりシミたりして劣化が早まってしまいます。皮脂などにも弱いため、汗やホコリなどは一度水に流してから拭くのが最適です。

 

さいごに

メタルフレームやセルフレームと大きく2つに分けられ、そのなかでもさまざまな種類があるメガネ。

 

メガネは日ごろのお手入れに気を遣うことで、長く使い続けることができます。今回ご紹介した長持ちさせるためのポイントを意識して、メガネを大切に保管やお手入をれしましょう。

 

壱ポイントでもアセテートを使ったアイテムを多く揃えているので、ぜひのぞいてみてくださいね。


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近年では外国人力士のめざましい活躍もあり、事あるごとに話題になる大相撲。

それぞれの取組の前に、身軽な恰好をした男性陣(呼出とよばれる人たちです)が掛布団のごとく大きな幕を掲げながら、列をなして土俵の上を周回する場面を見たことがある人も多いはず。

今回の記事では、そんな懸賞旗についてわかりやすくご紹介します。

 

色とりどりの幕たち

色とりどりの幕たちは、懸賞旗(けんしょうばた)と呼ばれるものです。

テレビで観ているとあまりはっきり目にすることができないかもしれませんが、さまざまな企業名が書かれた色鮮やかな幕の数々が土俵上を丸く埋める光景は、取組とはまたちがった面白さがあります。

大相撲の取組に懸賞金をかけた企業が社名などを入れた幕を作成し、その取組前に掲げてもらうことができるというもの。また、懸賞旗は懸賞幕(けんしょうまく)と呼ばれることもあります。

 

広告効果もある?

人気の力士や注目の取組には、多くの懸賞金がかけられることもあるため、懸賞旗の本数には上限が設けられています。ですが、懸賞旗を出すことで自社の宣伝広告を人々の目が集まる場で出すことができるのです。

また、懸賞金をかけると懸賞旗以外にも取組表に企業名が印刷されたり、取組前に場内アナウンスで社名が読み上げられたり。さまざま方法で、企業名が告知されます。

こうした宣伝効果はあるものの、一般的な広告とは異なるのでいろいろな制約もあります。

詳しくは、日本相撲協会のホームぺージをご覧ください。 

 

気になる懸賞金!

懸賞金はその取組の勝者に渡されますが、その行方も気になるところ。

これまで、企業が懸賞金をかけるには、税込62,000円で懸賞旗1分、これを少なくとも1日1本1場所(15日間)続けるのが条件です。つまり62,000円×15日で合計930,000円からのスタートとなります。1取組には最大5本までかけることができます。

この62,000円のうち勝ち力士の獲得金額は手数料を除いた56,700円。注目度の違いで懸賞をかける企業も増減し、取組後に渡される祝儀袋のボリュームから注目度の高さをうかがうこともできます。

※現在、懸賞は1本7万円に改定されました(令和元年)。力士が受け取る金額は3万円で変わりませんが、手数料など事務経費が1万円、預かる金が3万円に増えました。

 

祝儀袋を受け取るときの動作はなに?

ちなみに、勝ち力士が行司の差し出す軍配にのせられた祝儀袋を受け取る際に行う手刀(てがたな)は、なんと相撲協会の規定に明文化された決まりごとだそう。

はじめは規則として定められてはいなかった作法ですが、1966年に正式に定められたそうです。

左、右、中央の順に手刀を切ると決められ、これは左が神産巣日神(かみむすびのかみ)、右が高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、中が天御中主神(あまのなかぬしのかみ)という、『古事記』のはじめに登場する五穀の守り三神に感謝する礼儀とされています。

能作
スモウレスラー (2ヶ入)

しかし、それまでは「心」の字を書く、さらに「心」を示す「りっしんべん」を書くなど、スタイルはさまざまであったとか。また、「右手で手刀を切らなければいけない」という決まりも現在はないそうです。相撲観戦に行く機会があった際は、取組はもちろん、懸賞旗や手刀の様子まで見てみるのも面白いかもしれません。

 

 


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「この紋所が目に入らぬか!」

このことばとともに、人々の頭上へ掲げられる印籠(いんろう)。

時代劇『水戸黄門』であまりにも有名なこのセリフとともに毎度登場する、つややかに光るこの印籠。この印籠がいったい、どのような素材からできているのか、皆さんはご存知でしょうか?

 

そもそも印籠って、どんなもの?

そもそも印籠とは、どのようなものなのでしょうか。

 

印籠とは、男性が帯に下げて携行する小型の容器のこと。

当初は印や印肉をを入れる容器として使用されていたころから、印籠(いんろう)と呼ばれるようになりましたが、やがて丸薬などを携行するために用いられるようになっていきます。

そして使用用途が変わったことで、次第に小型化して携行しやすくなり、装飾性の高い印籠がつくられるように。庶民のあいだでも浸透してくるようになると、印籠は次第にファッションアイテムの一部としてとり入れられるようになっていきました。

 

こうして印籠は、徐々に装飾性が求められるようになっていき、漆絵や蒔絵、箔押し、堆朱、螺鈿、彫金などといった装飾が施されるようになったそう。工芸技術が飛躍的に発展していた江戸時代は、印籠のほかに根付や刀の目貫などの装飾性も高い時期であり、それらのみをつくる職人もいたとされています。

 

印籠は、どんな素材からできているの?

一見すると、堅そうに見える印籠。そんな印籠ですが、じつは主に和紙でできています。実際のところは木彫の印籠もあるものの、木は乾燥するとヒビ割れが生じ、時間の経過とともにゆがみやすくなり、ふたの開閉が困難になってしまいます。また、印籠は主に屋外へ持ち出して使うため、直射日光が当たり温度差も大きくなります。

 

そのため、経年変化が少ないうえ、軽くて丈夫な和紙が採用されるようになりました。とはいえ、やわらかな平面であるはずの和紙から、いったいどうやってあのような堅い入れ物ができるのでしょうか。

 

印籠のユニークな構造

通常3~5段の容器が重なった形をしている印籠。言葉にすると、あっさりとしたものに聞こえますが、実際の構造と製作の過程をみると、じつは凝ったつくりをしていることがうかがえます。

 

すべての段の両脇に空いた穴へ紐を通すことでひとつにまとめ、その中でスライドさせることで各段を開け閉めします。それぞれの段が下段の蓋になり、ぴったりとはめこまれてコンパクトに収まるようになっています。

身に着けられる装飾品のひとつとして、本体にさまざまな飾り付けもされる印籠ですが、飾りを施す前段階だけでなんと100以上もの工程があるのです。

まず、太さのさまざまな楕円筒形の長い木の棒を型として、その中から2種類の太さのものを選びます。漆と糊、もしくはそれらを混ぜ合わせたものを和紙に塗り、それをふたつの木型に何層も巻き重ねていくのです(下図内①)。この作業をサビ付けといい、印籠の外枠である段と内側の立ち上がりがそれぞれにできていきます。

 

そこに、細くまっすぐな竹の幹や、和紙を細い筒状に丸めたものを2本、段の両脇に添えた状態(下図内②)でさらにサビ付けを重ねていきます(下図内③)。しっかりと固定したあとに4日ほど乾燥させ、木型から外してさらに1年間乾燥させることで、ゆがみの生じない強度を持ったものに仕上がるのです。

段と立ち上がりを必要なサイズにカットし(図内④)、合口の表面を研いだり漆を塗ったりして整え、ようやく組み立て工程に入ります。薄いヒノキの板を底板として、段に立ち上がりを組み入れます。当時実際に使われていた印籠のパーツの中で、木材が使われているのは基本的にこの部分だけ。

 

そうしてそれぞれの蓋まで閉め、すべてがぴったりと収まるように作るのが職人の腕の見せ所。確認できたら内外に金の梨地※1を蒔き、漆の下地を塗り、蒔絵を施して最後の研ぎ出しをして、ようやく完成に至るというわけです。

 

まるで木のような堅い素材でできていると思わせる理由は、この漆塗りで表面を美しく整えられるためかもしれません。

 

印籠の多くは蒔絵によって飾られますが、他にも金工象牙堆朱堆黒※2べっ甲陶磁器水晶ガラスなどなど多彩な素材の装飾が施されているものもあります。

※1 梨地(なしじ)…漆を塗り金、銀、錫などの梨地粉を蒔いた上に透明漆を塗って粉の露出しない程度に研ぐ蒔絵技法。梨の肌に似ているところからこの名がある

※2 堆朱(ついしゅ)、堆黒(ついこく)…朱漆もしくは黒漆を厚く塗り重ね、そこに彫刻を施したもの

 

 

実用品から装飾品、そして美術品へ

印籠は、もともとはその名の通りに印鑑や朱肉を入れて置いておくための箱でしたが、やがて腰から下げて携帯されるようになります。そのように持ち運ぶため、印籠を帯に通す際にストッパーの役目をはたす根付と、蓋の開閉をするための緒締(おじめ)とのワンセットで使用されます。中に薬などを入れるようになったのはおそらく戦国時代、戦場に行く武士が持病の薬を持っていくのに使ったのではないかといわれています。

 

印籠は根付や刀装具と同様に手のひらの上で鑑賞する、日本人の美意識が凝縮されたものです。日本のあらゆる工芸の技法が結集されて非常に緻密な世界を作り上げているこの印籠は、残念ながら数多くの作品が海外に流出してしまっているのが現状です。


 

日本の匠にクリエイティブの源を聞くインタビュー特集『匠の道』。

第9回は、和食器&生活用品ブランド「TSUNE」のデザイナーを務める田中恒子(たなか・つねこ)さんのアトリエを訪問しました。和とも洋ともとれるような、独自の温もりある食器を手がける恒子さん。これまで生み出された食器の数々に触れながら、食器に込めた思いや食器コーディネートの極意など、たくさんのお話を聞かせて下さいました。

TSUNEが手がける食器の意匠は、いずれも四季を取り入れたものばかり。

 

主役はあくまでも家庭料理

TSUNEの食器は、そのひとつひとつが熟練の職人によって時間をかけて生み出される一点ものでありながら、主役の座はあくまで家庭料理に引き渡すことを大切にしています。

「コンセプトは〝四季折々〟。移ろいゆく四季に自分の思いを色として重ねながら、一つひとつを作っています。たとえば桜をモチーフにしても、薄紅でえがく年もあれば、夜桜の白を思う年もありますよね。その年、その場所によって変化する感じ方を頼りにしながら、四季の移り変わりとその思い出に寄り添う器造りを心がけています」

 

自然からインスピレーションを受けて調合される釉薬が豊かな色彩を食器に与える一方で、主張しすぎるということはありません。むしろそれらが食卓に四季の訪れを感じさせてくれ、どんな料理を盛りつけようかと想像するのも楽しくなります。

 

 

「単に一色に染めるのではなく、濃淡がグラデーションとなって現れる色合いを目指して作るため、理想にたどり着くまで何度も作り直しますし、月日を経て同じものをまた作るといったことも難しいんです。」

 

服を生み出すように器を生み出す

そんな季節の魅力あふれるTSUNEの食器を生み出す恒子さんですが、食器作りを始める前はファッションの世界にいたという経歴の持ち主。文化服装学院でデザインを専攻したのち、ファッションブランド「ヨーガンレール」に就職、パタンナーのポジションに就いたといいます。意外ともとれる経歴ですが、そこには器作りとの共通点がありました。

 

「新卒でヨーガンレールに入社し、そのなかで必死に服造りを学びました。そしてようやく自分なりに色々やれるようになったとき、陶器の魅力を知ったんです。そのとき気づいたのは、服を作るのも器を作るのも大して差はないんだなということでした。まず作りたいと思ったものの絵を描き、その制作工程を指示書を書く。作る流れは同じなんです。そのことに気づいてますます食器作りにのめり込んでいきました」

 

こうした制作工程を確立させることによって、全国に散らばる伝統工芸の職人たちと手を組むことを実現させ、芸術的な意匠をまとったTSUNEの器は産声をあげます。

飾っても美しい「TSUNE」の器ですが、あくまで日常の食卓に並べてほしいと恒子さんはいいます

 

当たり前の日常にある景色を

奇しくも当時、恒子さんのご主人が飲食店をオープンさせることとなり、その食器を恒子さんが手がけたことによってTSUNEの活動は始まりました。以来、陶器に季節と思い出を重ね続けて三十余年。春夏秋冬といえども毎年異なる季節が訪れ、新たな発見をもたらすといいます。

 

「秋になれば落ち葉を、春から夏にかけては若葉を観察します。そうしていると、去年までは気がつかなかったことにも、今年は気づくこともありますよね。そうやって、毎年異なる四季を陶器に反映しています。それはなにも特別な場所で見られる風景でなくて良く、むしろ誰にでも訪れる景色ですね。朝の時間、夕暮れ時。仕事の帰り道、疲れたなと思いながらふと目に留まるもの。そういった日常の景色からヒントを得ることで、より多くの方々に共感してもらえるのではないかと思います」

なかには宇宙を想起させるようなものも。その表情はどれも個性的で、この中から選び抜くのも楽しみのひとつ

 

食器が生み出す家族の団らん

TSUNEの食器が季節をきっかけとするのは、その食器が辿り着く終着点を考えてのもの。四季を取り入れた先で恒子さんが期待するのは家族の団らんでした。

「食卓は家族が集まる場所。それこそ食器がきっかけとなって、食卓で家族の会話が生まれたらいいなと思うんです。その時その時の季節感は自然な刺激を与えてくれますから、そうして弾んだ会話の延長線で食事を楽しんでもらい、〝今日も一日楽しかった〟と収まるきっかけになれば嬉しいですね」

毎日の食卓に彩りを加えるだけでなく、家族がひとつになるきっかけ作りを終着点にする。ここにも、TSUNEの器が持つ暖かみの理由がありました。

こうして食器を重ねるだけでも使い道はぐっと広がります

 

すでにある食器との共存を考える

しかし家族の団らんを最終点に掲げても、それが実際に家庭のなかで使われなければ意味がありません。実際、どの家庭においても、買ったはいいけれど使われずに食器棚のなかで眠り続ける食器はいくつかあるもの。そこで恒子さんは、時に空間コーディネートまで手がけるといいます。

 

「店頭に立てば、お客様のリクエストに沿ってコーディネートを提案します。買いたいと思う食器を、では現実的にどのように使えば良いかということですね。ここで大事なのは、すでにおうちにある食器とどう共存させるかということ。持って帰ったはいいけれど、日々の生活で使えないのでは本来の意味を失ってしまいます。いかに収納しやすく、それでいて毎日使えるかどうかを一緒に考える。そこにおいてリアルな提案をすることがコーディネートだと思っています」

 

 

作り手の思いを一方的に押しつけるのではなく、時には和となり洋となれるような器であること。芸術的な意匠を持ち合わせながらも、あくまでも主役は家庭料理。ここで初めの話に戻りましたね。恒子さんの話を聞くことから、三十余年の季節を巡り巡って形作られたTSUNEの食器が持つ奥深さに少しだけ触れられたような気がします。

 

TSUNEの食器は壱ポイントでも取り扱っております。いつもの食卓に四季を取り入れ、そこから始まる家族のひと時を皆様にも楽しんで頂けたらと思います。

くわしくは、こちらのページをご覧ください。

9月27日(水)から10月7日(土)まで開催しておりました、新宿マルイ アネックスでの催事出店は無事終了いたしました。

今回は、美濃焼のお茶碗をはじめ津軽びいどろの盃など、食器類が人気でした。
また、KOSHOのトートバッグも飴色や焦げ茶色ベースなど秋色のバリエーションが仲間入りし、トートバッグM、MH、PHともに多くの方に気に入っていただき、購入してくださいました。
催事中、寒い日や天候のすぐれない日もありましたが、足を運んでいただいた皆さま、誠にありがとうございました!

ぜひ、壱ポイント オンラインサイトでのお買い物もお楽しみくださいませ。

高い技術力が施され、国の伝統的工芸品に指定されている絹織物「西陣織」。

西陣織の品種は12種類あり、それぞれ製造工程と特徴が異なります。

この記事では、西陣織の歴史から名前の由来、特徴について詳しくご紹介します。

 

西陣織とは

美しい見た目と繊細な職人技が施された、日本が誇る伝統工芸品西陣織。

まずは、西陣織の特徴と名前の由来についてご紹介します。

 

西陣織の特徴

西陣織(にしじんおり)とは、京都で作られている先染(さきぞめ)の織物です。西陣織の西陣とは、京都市街の北部の上京区、北区を中心とした地域の名称で、実際に西陣という地域があるわけではありません。

 

具体的には、上京区・北区を中心に、おおよそ南は丸太町通、北は上賀茂、東は烏丸通、西は西大路通に囲まれた地域のことを指します。

 

西陣織の最大の特徴は、多品種少量生産ということです。西陣織は完成までに作業工程がいくつもあり、高い技術力が必要な高級品です。

 

そんな西陣織は、12種類の品種が西陣織1976年(昭和51年)に国の伝統的工芸品に指定されました。

 

西陣織の名前の由来

西陣織の名前の由来は、応仁の乱だといわれています。

当時、応仁の乱の影響で、京都から多くの織物職人たちが離れてしまいました。

戦乱が落ち着くと、やがてほかの地域へ避難していた職人たちが京都へ戻り、織物作りを再開します。

その際、西軍が陣を張っていた場所(つまり西陣)で再開したことから、西陣織と呼ばれるようになったようです。

 

西陣織の歴史

西陣織の歴史は非常に古く、古墳時代までさかのぼります。

5〜6世紀に大陸から渡来した秦氏の一族が、現在の京都に住みつきます。

その際に、養蚕絹織物の技術を伝えたのが西陣織の始まりといわれています。

 

平安時代に入ると、朝廷では織部司(おりべつかさ)と呼ばれる役所が置かれます。これにともない、多くの職人を集め、綾や錦といった高級織物が生産されるようになります。

 

平安中期に入ると、朝廷での織物作りは衰退していきます。そして、朝廷で働いていた職人たちは離れ、大舎人町(おおとねりちょう)に住むようになり個人で織物業を営むようになります。

のちに大舎人町で誕生した織物を「大舎人綾」「大宮絹」と呼び、高級織物として珍重されてきました。

 

室町時代の中ごろになると京都では、東軍と西軍が争う1467年に応仁の乱が起こります。11年という長きに渡って繰り広げられたこの戦によって、大舎人町も壊滅状態となりました。職人たちは、戦火を逃れるために堺などの各地へ離散していきました。

 

戦乱が治まったのち、職人たちは西軍の本陣があった大宮今出川のあたりに再び集まり、織物業を再開します。地域の名前から「西陣織」と呼ばれるようになったといわれています。

 

安土桃山時代に入ると、明から織物の技術が入り、紋織(もんおり)と呼ばれる西陣織の基礎が確立します。

 

江戸時代に入り幕府の保護となったのち、さまざまな技術を取り入れてゆき、絹織物業が急速に発展していきました。

 

繁盛しにぎわっていた西陣織でしたが、江戸時代半ばを過ぎるとその勢いも落ち着いてしまいます。度重なる飢饉や二度の大火により、世の中も不安定となり、西陣織の需要も下がっていきます。

さらに追い打ちをかけるように、明治時代に都が東京に移された影響で勢いを失ってしまったようです。

 

そこで京都府は保護育成を図るため、西陣物産会社を設立します。日本から、佐倉常七 (さくらつねしち) 、井上伊兵衛 (いのうえいへえ) 、吉田忠七 (よしだちゅうしち)の3名の職人をフランスのリヨンに職人を派遣します。その後、ジャカード織物の技術を導入し近代化に成功します。そして、現在でも日本で最高級とされる地位を確固たるものにしました。

 

12種類ある品種の特徴

「西陣織の特徴」でも少し触れたように、12種類の品種が伝統的工芸品として指定されています。ここでは、それぞれ織物の特徴についてご紹介します。

 

経錦(たてしき)

経錦とは、経糸(たていと)を用いて地の文様を織り出した織物です。また、いくつもの色を使った織物を錦と呼びます。

 

緯錦(ぬきにしき)

緯錦とは、さまざまな色の緯糸(よこいと)を用いて、大きな文様を織り出す織物です。経錦と同様に、いくつもの色を使った織物を錦と呼びます。

 

紬(つむぎ)

紬とは、真糸を手つむぎした糸を経糸、緯糸に用いて、手機で作りあげた平織のことです。

 

綴(つづれ)

綴とは、緯糸(よこいと)のみで文様を織り出した織物をいいます。緯糸で経糸を包むようにするため、表面から経糸が見えないのが特徴です。そして、ノコギリの歯のようにギザギザとした爪で、1本づつ織り込んでいきます。手間のかかる作業のため、細かい文様のときは多くの時間を要します。

 

緞子(どんす)

緞子とは、経糸と緯糸5本づつ用いて織り出す織物です。織物の表面には経糸か緯糸を浮かせた、繻子織(しゅすおり)と呼ばれる技術が施されます。密度のある厚地な仕上がりで、光沢があるのが特徴です。

 

朱珍(しゅちん)

朱珍とは緞子と同様に、繻子織が用いられた織物です。しかし、緞子と異なり、地上げ紋がないのが特徴です。

 

紹巴(しょうは)

紹巴とは強く撚った糸を用いて、細かい杉綾状や山形状の地紋を織り出した織物です。

 

風通(ふうつう)

風通とは、いくつかの層になっているのが特徴的な織物です。織物の断面は一般的に一重ですが、風通の断面は二重、三重となっています。

 

綟り織(もじりおり)

綟り織とは、1本の経糸に絡み合った織り方です。からみ織とも呼ばれており、経糸と緯糸に隙間ができるのが特徴です。

本しぼ織り(ほんしぼおり)

本しぼ織りとは、練染した絹糸を用いた織物です。糊(のり)をつけて右左と交互に撚ってゆき、最後にぬるま湯でもみ、しぼを出します。

 

絣織(かすりおり)

絣織とは、経糸と緯糸に部分的に防染を施した織物です。

 

ビロード

ビロードとは最初に針金を折り込み、のちに針金の通った箇所の経糸を切り起毛させます。また、針金を引き抜き輪奈(ループ)を作る技法です。

 

肌で触れて感じる

近年では、西陣織の技術を活かして着物以外にも、ネクタイやストールといった小物類も出ています。

伝統技術が施された西陣織は高価なため、気軽に手にできるものから試してみてはいかがでしょうか。

 

西陣織が産地の京都では、実際に西陣織を体験、見て学べる場所があります。

西陣織会館では、手織に触れたり、着物を着たりすることで西陣織を肌で感じることができます。京都へ旅行に行った際は、西陣織会館を訪れてみてくださいね。

 

バッグや扇子などの販売も行っているため、さまざまな視点からお楽しみいただけます。

京都に行く機会がある方は、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

 

▷「西陣織会館」の情報については、西陣織会館Webサイトをご確認ください。

 


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