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4月8日は、花まつり。お釈迦さまがお生まれになった4月8日を中心に行われ、祭りを否定する仏教で唯一、祭りといわれる行事です。花まつり当日は生誕を祝う法要が行われ、境内には花御堂(はなみどう)がつくられ、その中にお釈迦さまの誕生仏が安置されます。

参拝に来た人たちは、誕生仏の頭上に竹の杓(ひしゃく)で甘茶をかけてお祝いします。この甘茶を灌(そそ)ぐさまから、灌仏会(かんぶつえ)とも呼ばれています。

■花まつりの歴史と由来

花まつりは、仏教を開かれたお釈迦さまの誕生日を祝う行事。
仏教であれば宗派を問わず、共通して4月8日にお祝いをします。インドや中国でも古くから行われ、日本では推古天皇の時代(606)に元興寺で初めて行われたと伝えられています。その後、奈良時代には大きなお寺に広まっていき、平安時代にはお寺の年中行事となっていきました。

やがて、明治時代になると浄土宗で「花まつり」と呼ばれるようになり、すべての宗派に浸透していくようになりました。

■お釈迦さまの誕生にまつわるエピソード

お釈迦さまが誕生して間もなく、東西南北にそれぞれ7歩ずつ歩いて立ち止まり、右手で天を、そして左手で地を指差して「天上天下唯我独尊(てんじょうてんが、ゆいがどくそん)」と叫んだと伝えられています。ちなみに、花まつりで見るお釈迦さまの像も、この瞬間を捉えたポーズをしています。

●お釈迦さまが7歩歩かれたのは、なぜ?

なぜ、お釈迦さまは四方に7歩歩かれたのでしょうか。

これは、7という数字にヒントがあります。7とは、6プラス1。6というのは私たち人間が果てしなく苦しみつづけるという迷いの世界「六道(りくどう)」を意味します。その六道から離れる道を明らかにすることが仏教の目的であることから、それを「6プラス1歩」の7歩で表しています。

●天上天下唯我独尊って、どういう意味?

それでは、お釈迦さまが唱えたという天上天下唯我独尊とはどのような意味で使われているのでしょうか。天上天下とは、「全世界・全宇宙」を指し、「我」はお釈迦さまのことではなく、私たち人間のことをあらわしています。

そして「独尊」とは、たった一つの尊い使命ということ。このことから、天上天下唯我独尊とは、この大宇宙のすべての人々は、唯一無二の使命を果たすためにこの世へ生まれてきたということを指します。

お寺によっては、花祭りにあわせて行事をおこなうところもあります。イエス・キリストの生誕を祝うクリスマスは有名ないっぽうで、どちらかというとなじみのうすい花まつり。ことしの春はぜひ、花まつりに参加してみてはどうでしょう。

春と秋の年に2回やってくるお彼岸(ひがん)

春分と秋分は、1年のなかでも昼と夜の長さがほぼ同じになる時期。このことから、私たちが日々を過ごすこの世とあの世がもっとも通じやすくなると考えられています。この時期はお墓参りへ出向くという方も多いかもしれません。けれどじつは、お彼岸の期間は自身を反省するための修行の機会でもあるということをご存知ですか?

■お彼岸の意味と悟りの世界

彼岸という呼びかたは、サンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」を訳した「到彼岸」を略したことに由来します。到彼岸とは、「あちらの岸(あの世)」のこと、つまり悟りの世界である「極楽浄土」だと信じられてきました。

それに対し、私たちが日々を過ごしている「こちら側(この世)」には迷いや苦悩に満ちあふれている世界だとされてきました。極楽浄土に行くために、迷いや苦悩を断ち切るためには仏教世界の「六波羅蜜」という教えを実践して、悟りを開くことが必要だと説かれています。

 

■六波羅蜜とは

「彼岸」とは悟りの世界。心穏やかな悟りの境地に至るには、これからご紹介する6つのことを実践することが求められるとされています。この6つの修行を仏教では六波羅蜜(ろくはらみつ)と呼びます。みなさんは、どのくらい実践することができていますか。

①「布施」(ふせ):財や心を周囲の人へ施すこと。

②「持戒」(じかい):心を戒めること、周囲の人へ迷惑をかけないこと。

③「忍辱」(にんにく):愚痴や不平不満をもらさないこと、腹を立てないこと。

④「精進」(しょうじん):つねに全力で物事にとり組むこと、努力をおしまないこと。

⑤「禅定」(ぜんじょう):心を静かに保ち、日ごろの言動を省みるひと時を忘れないこと。

⑥「智慧」(ちえ):真実を見る智慧、そして正しい判断力を身につけること。

日ごろからこれらの徳目を実践し続けることは、決して簡単ではないかもしれません。そんな6つの修行を、春と秋の年2回みんなで実践してみようというのが、お彼岸の教えです。

もちろん、お彼岸にお寺やお墓、仏壇にお参りをすることも「六波羅蜜」の実践に通じる大切な仏道修行です。

■暑さも寒さも彼岸まで

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、お彼岸はちょうど季節の変わり目。

六波羅蜜の修行は、自分の心がけひとつで誰にでもできることばかり。いつも見守ってくださるご先祖さまにも、春という豊かな季節がまた巡って来てくれたことにも、まずはありがとうの気持ちを。六波羅蜜の6つの修行を通じて、心ゆたかな人柄を身につけていきましょう。

2月に入り、厳しい寒さのなかにもやわらかな春の日差しを感じられるようになってきました。
甘い香りが春の訪れを予感させ、なんだか幸せなきもちにさせてくれる梅(ウメ)の花。
ウメの花は、「松竹梅(しょうちくばい)」と並べておめでたいもののひとつともされていますが、それぞれの由来や意味をご存知でしょうか。そこで今回は、そんな松竹梅のあれこれをご紹介していまいります。

■どうして「松竹梅」なの?

わたしたちの暮らしのなかには、さまざまな格付けや意味合いを持った言葉があります。「松竹梅」もそのひとつで、主に商品やサービスの格付けを示すものとして使われています。一般的には最高級の松に次いで、中堅ランクが竹、そして梅とつづきます。

中国では3という数字は古来より縁起のいい数字。

このことから3つの植物の組み合わせ、なかでも寒さの厳しい真冬にも美しい葉や花を咲かせ、豊かな生命力を連想させる植物のセット「歳寒三友(さいかんさんゆう)」がとくに喜ばれてきました。

中国では、宋代よりマツ(松)やタケ(竹)、ウメ(梅)、スイセン(水仙)などの冬を代表する植物からいずれかの3つがセットで描かれたのです。そのなかでもウメは描かれることが非常に多く、しだいに中国における歳寒三友の要となっていきました。

●日本にも伝えられたものの……

松竹梅の組み合わせが日本に伝えられたものの、決してすぐに定着したというわけではありません。

その常緑性が長寿のシンボルとされてきたマツ、そして成長力の旺盛さが繁栄を意味するタケ。
この2つはもともと日本に自生しており、生命力のたくましさが古来より尊ばれてきました。
そのためマツとタケは、縁起物として平安末期にはマツとタケを組み合わせた門松をお正月飾りとして用いられていたとされています。

●日本で松竹梅がなかなか定着しなかった理由

ですが、なかなか日本で定着していかなかったのがウメでした。ウメは中国原産の樹木で、奈良時代後期に日本へとやってきたとされています。日本に伝わって間もないウメは、そのころの貴族にとって憧れの大陸文化の象徴でしたが、自生の種であるマツやタケとはすぐに結びつかなかった要因のひとつなのかもしれません。
ですが、やがて春の訪れとともに香しい花を咲かせることから、やがてウメも冬の風物詩として定着していきました。

■松竹梅それぞれの意味について

松竹梅の順番は、日本で吉祥(=めでたいこと)の象徴となった年代の順番を表しています。
ここでは、それぞれの意味について紹介していきます。

●松(マツ)


平安時代に吉祥の象徴となった松。松は1,000年もの寿命があり、1年じゅう葉の色が変わらないことから「常盤木(ときわぎ)」と呼ばれ、縁起のよいものとされてきました。また、中国では長寿延命の木とされています。

●竹(タケ)

竹はおよそ3か月ほどで親と同じ高さまで大きくなるほど、生命力を持った植物。
また、1年じゅう枯れることがなく、つぎつぎと新芽を出していきます。そのことから、室町時代より子孫繁栄の象徴とされています。

●梅(ウメ)

菅原道真が愛したという梅の花は、厳しい寒さのなかでも1番に春の知らせを伝えてくれる植物であることから、江戸時代より繁栄・気高さ・長寿の象徴とされています。

■松竹梅に優劣はない

松竹梅は平安時代から現代まで、時代とともにその意味合いが徐々に変化していきました。
松、竹、梅それぞれが吉祥の象徴であることから、そこに優劣関係はありません。
ですが、それぞれが吉祥とされた時代にしたがって現代では格付けとして用いられています。

ちなみに、格付けや等級をあらわすようになったのは、蕎麦屋や寿司屋のメニューで『特上・上・並』を『松・竹・梅』に置き換えるようになったことが始まりだとされています。


サクラよりすこし前に見頃を迎える梅(うめ)の花。
全国には多くの梅を鑑賞できるスポットがあるので、梅の上品な美しさと爽やかな香りに癒されてみてはいかがでしょう。

「お正月」をいえば、新年を祝う1年で1番始めにくる行事のこと。

じつは、1月にはお正月とは別に「小正月(こしょうがつ)」と呼ばれる行事があることをご存知ですか?
元旦から1月3日までの三が日である「大正月」が新年に歳神さまをお迎えするという意味を持つのに対し、「小正月」は豊作の祈願や家内の安全の祈願をするという意味をもっています。この時期に悪霊払いや無病息災の風習が行われるのも、このことに由来します。
あまり聞きなじみのない小正月。今回はその由来や行事、食事についてお届けします。

■小正月とはいつのこと?

(1月13日~16日の3日間を指す場合もありますが)小正月は、一般的に1月15日とされています。
この時期が「小正月」とされているのは旧暦との関係があります。
旧暦では新月の日を1日(ついたち)、満月の日を15日(十五夜)、そしてつぎの新月の日までを1か月としてきました。古来より日本では満月には特別な力があると考えられ、旧暦の1月15日は立春後初めての満月にあたることから、この日を正月としました。

やがて明治時代に入ると太陽暦になると、元旦(1月1日)を「大正月」、そして1月15日を「小正月」と呼ぶようになったといわれています。

●ほかの呼びかたをすることも

また小正月は、年末から新年を迎える準備や来客の対応で慌ただしく働いた女性が一息つける時期として、「女(おんな)正月」とも呼ばれます。これに対して、大正月は年男が活躍することから「男正月」と呼ばれます。

■小正月におこなわれる行事や食事

大掃除をしたり、門松やしめ縄を飾ったりして年神様を迎える大正月に対して小正月は、豊作祈願などの個人的(もしくは家庭的)な行事が多くなります。そして小正月の行事は、以下の大きく3つに分けられます。

・豊作祈願(餅花、繭玉、庭田植え など)
・吉凶占い(粥占い、豆占い など)
・悪霊祓い(左義長、鳥追い など)

そのなかから今回は、代表的なものをいくつかご紹介します。

●餅花(もちばな)

お正月には家の外に門松を飾りますが、小正月では1年の五穀豊穣を祈り、餅花(もちばな)を飾ります。
餅花は、稲穂を連想させるヤナギなどの枝に小さく切った紅白のお餅や団子をさして飾ります。米粉をつかって蚕(かいこ)の形にし、繭玉(まゆだま)として飾る地方もあり、これは養蚕が盛んだったころの名残りと思われますこのことから、小正月のことを「花正月」と呼ぶ地域もあります。

●左義長(どんど焼き)

左義長(さぎちょう)は、お正月飾りや書き初めを集めて燃やす行事のこと。燃やしたときの煙とともに年神様が天上に帰るとされ、その火でお餅を焼いて食べることで万病を防ぐとされています。また左義長は、「どんど焼き」「どんど」などと、地域によってさまざまな呼びかたがあります。

●粥占(かゆうら・かいうら・よねうら)

粥占はおかゆを炊いて、この1年の吉凶を占う行事です。粥占は各地の神社で祭礼として行われ、多くは小正月に神にあずき粥を献上するときに行われ、天候や作物の豊凶などについて占います。占いかたにはいくつか種類がありますが、一般的には煮え上がったお粥のなかへ棒を入れてかき回し、棒についた米粒の数で占います。そのほかにも青竹を12本入れてひと月ごとの吉凶を占うものや、お米と小豆(あずき)と竹筒を一緒に炊いて、竹筒に入った小豆の数で吉凶を占うものもあります。

たとえば、京都府亀岡市千歳町の出雲大神宮でおこなわれる粥占祭(よねうらさい)では、毎年1月15日に小豆を混ぜた米を早生、中生(なかて)、晩生(おくて)を表す3本の竹筒とともに釜で炊きます。ここでは筒に入った小豆が少なく、米が詰まっているほど豊作としています。

●小豆粥(あずきがゆ)

小豆(あずき)の赤い色には、昔から邪気を払う力があると考えられ、小正月の1月15日に邪気を払い、この1年の健康を願って小豆粥を食べる風習があります。この15日は望の日(もちのひ)なので、望粥(もちがゆ)とも呼ばれます。また、(東北地方や北陸地方などでは)1月7日の七草粥のかわりとして小豆粥を食べる地域もあります。

古来より、豊作の祈願や大切な家族の健康と安全の祈ってきた小正月。
ことしは玄関先に餅花を飾ったり、家族の健康を願って小豆粥をいただいてみてはどうでしょう。

 

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壱ポイント スタッフ一同

舞妓(まいこ)さん、芸妓(げいこ)さんと聞くと、顔におしろいを塗った着物の女性を思い浮かべます。

少女の頃から稽古を受け、気品漂う姿で京都の町を凛と歩く……。

一体、彼女たちの仕事はどういったものなのか、どのくらい知っていますか?

日ごろなかなか見ることのできない、芸の世界を覗いてみましょう。

 

■舞妓・芸妓・芸者の違い

舞妓・芸妓とは、唄や踊り、三味線などの芸で宴会の席に楽しさを添えることを仕事とする女性のことをいいます。さまざまな呼び方がありますが、舞妓・芸妓にはどのような違いがあるのでしょうか。

Photo by Chee.

●見習い中、修行後かどうかの違い

現代の京都では、中学卒業後の15歳ごろから20歳ごろまでは芸妓になるまでの見習い修行の期間。このあいだに「仕込み」といわれる踊りや茶道、着付け、茶道、華道、礼儀作法、お座敷でお客をもてなす際の礼儀作法やしきたりなどを先輩芸妓から徹底的に仕込まれます。およそ1年の修行を重ねたのち、舞妓としてデビューします。

その後、置屋の女将や組合から実力を認められると「袴替え」という儀式ののち、晴れて芸妓(げいこ)となることができます。芸妓として独り立ちしたら置屋に籍を置き、お座敷へ出向いて接客をしたり、芸を披露したりします。

●地域による呼び方の違い

京都では、見習いの期間を「舞妓」と呼びますが、関東では「半玉」(はんぎょく)「御酌」(おしゃく)などと呼びます。

「芸妓」は(げいぎ、げいこ)2通りの読み方があり、関西では特に「芸妓、芸子」と書いてどちらも(げいこ)と呼びます。そのほかの地域では「芸者」(げいしゃ)と呼ばれることもあります。

地域によって呼び方の違いはあれど、芸者・芸妓どちらも舞や唄、三味線などの歌舞の芸でお客を楽しませるということに違いはなく、どちらも同じ。そして、芸道ひとすじに生きる心意気もまた、変わらず同じものと言えます。

 

■服装や髪形の違い

じつは舞妓と芸妓は、服装や髪形からも簡単に見分けることができます。

 

Photo by Akihito Miyaji.

●髪型

舞妓の場合、かつらはかぶらずに地毛をのばして結っています。なお、舞妓の髷はいちど結うと、1週間はその髪型で過ごします。結いあげる髪型は、経験年数に応じて決められており、祇園祭などの大切な行事のときは、特別な髪形で結いあげます。なお、四季折々の花かんざしをつけられるのは、舞妓だけです。

対して芸妓は地毛ではなく、〈島田〉と呼ばれる結い方のかつらをかぶり、かんざしなどはあまりつけません。
 

着物

舞妓・芸妓を見分けるポイントに、着物や帯の結び方があります。

一般的に舞妓は、柄の入った色鮮やかな振袖を着用します。

そして、垂れ下がったような形に結ぶのが特徴的な、歩くとゆらゆら揺れる「だらりの帯」を使用します。

だらりの帯は京都の舞妓さん特有のもので、全長が5メートル以上にもおよび、かなりの重量があります。

いっぽう、芸妓は黒や無地のシックな着物を着ることが一般的で、帯は(よく見る着物の装いと同じ)お太鼓にしています。

●履物

舞妓は桐でできた特徴的な形の下駄を履きます。
これは、高さが10cmほどある丸みを帯びた形の「おこぼ」と呼ばれる下駄を履きます。

写真を見てみると、非常に特徴的な形をしていますね。ほかにも、「ぽっくり下駄」「ぼっくり」などとも呼ばれます。下駄や草履をはき、舞妓とくらべるとずいぶん身軽そうに見えるのが芸妓です。

特徴さえおさえておけば、舞妓さんや芸妓さんを見かけてもすぐに見分けがつきそうですね。

文化への理解が深まると、紅葉シーズンで賑わう京都の町が、より一層輝いて見えることでしょう。

 

写真提供元:55maiko.net.

みなさんは、お正月の準備をいつごろから始めますか?

日本では「正月こと始め」と呼ばれる正月の準備を始める日があり、地域によって多少の差はありますが、おおむね12月13日にあたります。

この日を境にすす払いや餅つきなど、新年を迎える準備をはじめます。
お正月の準備を始めるのはいつからでもいいと思う方がいるかもしれませんが、正月こと始めは12月13日だと決められています。これは、この行事が神様に向けたものであることに由来します。

そこで今回は、正月こと始めのルーツについてご紹介します。

■なぜ、12月13日なの?

平安時代から江戸時代前期まで使用されていた『宣明暦(せんみょうれき)』によると、この日は婚礼以外は万事に大吉とされる「鬼宿日」にあたります。このことから、年神様を迎える準備を始めるのにふさわしい日として「正月こと始め」と定めたとされています。

現在ではこの日にこだわる必要はありませんが、新年を迎える準備は遅くとも28日までには終わらせるようにします。

 

●作業が残った場合はどうすればいい?

新年を迎える準備が28日までに終わらなかった場合、翌29日は避けて30日に行うようにします。(9=「苦」を連想するため)また、大晦日である31日も「一夜飾り」といって、飾り物やお供え物を準備には適さないとされています。

■正月こと始めに行うこと

12月13日のこと始めでは具体的に、どのようなことを行うのでしょうか。
「煤払い」「松迎え」などの正月の準備にとりかかる日とされています。

 

●すす払い

すす払いは、新しい年神様をむかえるために1年を祓う習わしです。かつては「煤梵天(すすぼんてん)」と呼ばれる道具ですすを払っていましたが、現在でも大きな寺社では煤梵天をつかって掃除をするところもあります。

●松迎え

すす払いが終わったら、松迎えをします。松迎えとは、門松に使う松やおせち・お雑煮などの料理を用意するための薪などを木々を山へ行って取りに行く習慣があります。これを「松迎え」といいます。12月28日までに松を集めるようです。

■準備をするには早い気がするけれど……

12月13日が縁起のよい「鬼宿日(きしゅくび)」とされていますが、新年を迎える準備をするにはやや早い気がするかもしれません。そのため、13日にすす払いを行って、ほかの箇所の掃除は別の日に行うと人が徐々に増えていきました。
その習慣が年末の大掃除の由来であるとされています。

■正月こと始めの主役は年男

新年を迎える準備といえば大掃除や正月料理の仕込みなど、女性が中心になって行うものと思われがちです。しかし、かつて正月こと始めを仕切るのはその家庭の家長とされていました。

現代では生まれた年と同じ十二支の年を迎えた男女のことを「年男・年女」と呼びますが、むかしは正月こと始めを仕切る家長のことを「年男」と呼んでいました。

さらにむかしは、しめ縄や門松を各家庭で手づくりしていたことから、正月の準備は力仕事が多かったことがうかがえます。このことから、正月こと始めは男性が中心となって行っていました。

なにかと慌ただしい12月。年末年始の休暇に入らないとなかなか準備ができないかもしれませんが、12月13日の「正月こと始め」から新年を迎える準備を少しずつすすめれば、いつもよりゆったりとした気持ちで新年を迎えられるかもしれません。

街中ではすこしずつ、七五三の参拝に訪れた晴れ着姿のかわいらしい子供たちの姿を見かけることがあるかもしれません。
七五三とは子供の健やかな健康を祝い、縁起のよい数字だとされている3歳・5歳・7歳に氏神様(神社)のもとへお参りをする行事のこと。お子さまのいるご家庭にとって大切な行事のひとつである七五三ですが、きちんとお祝いの目的や由来を説明できるという方は少ないかもしれません。そこで今回は、七五三の由来から服装、お祝いのしかたについてご紹介します。

 

■七五三の起源・由来

医療の発達していない時代では「7歳までは神の子」というたとえがあったほど、当時は子供の死亡率が高く、宮中や公家では節目ごとに子供の成長を祈るさまざまな儀式がおこなわれていました。

七五三のルーツは諸説ありますが、3歳では男女ともに髪をのばし始める「髪置き」、5歳では男の衣服である袴を着る「袴着(はかまぎ)」、7歳では女の子の着物帯をつかった装いをはじめる「帯解き(おびとき)」のお祝いに由来するものだとされています。江戸時代には、武家や裕福な商人の間でも行われるようになり、明治時代に入ると3歳・5歳・7歳の3つのお祝いごとをまとめて七五三と呼ばれるようになり、現代の庶民のあいだにも広まっていきました。

 

●どうして11月15日にお祝いをするの?


11月15日に七五三をするようになった由来には諸説ありますが、この日は古い暦である「二十八宿」において鬼宿日(きしゅくび)にあたることから、(婚礼を除く)万事において吉日であるとされていました。また、徳川綱吉の長男である徳松の健康を祈る行事が11月15日に実施されていたことから、七五三を11月15日に行うことが江戸から地方へ広まったとする説もあります。

ただ現在では、特に15日にこだわらず、祝日や日曜などの都合のよい日に合わせてお祝いをするケースが増えています。

 

 

 

■どこへお参りに行けばいいの?

七五三は本来、近所の氏神様へお参りをします。これは、子供が誕生するとお宮参りをして氏神様に誕生を報告するなど、身近な氏神様を大切にしてきたことに由来します。もちろん、大きめの神社を参拝しても問題ありません。参拝時のマナーは通常参拝する際と同じです。

 

●お祓いや祝詞奏上してもらう場合

もし神社でお祓いや祝詞奏上をしてもらう場合には事前に神社に確認し、御礼も用意します。御礼の金額は3千円~1万円程度で、神社によっては金額を提示されている場合もあります。御礼を入れる祝儀袋は、紅白蝶結びの水引きを使用します。表書きには「御初穂料(はつほりょう)」「御玉串料(おたまぐしりょう)」「御祈祷料(ごきとうりょう)」などとともに、子供の名前を記入します。

■七五三のときの服装は?

男の子も女の子もそろって着物を着るイメージが強い七五三ですが、必ず着物を着なければいけないわけではなく、洋装でもかまいません。ふだん着慣れていない着物を着るのは子供にとって負担が大きく、苦痛に感じるかもしれません。写真撮影だけは和装でおこない、神社などへの参拝時は洋装にすることも可能です。

 

●付き添う家族の服装は?

子供の健やかな成長を願う七五三。ご両親は、主役である子供の衣装よりも格下の衣装を選ぶようにします。たとえば子供が和装の場合は、ご両親ともに和洋装どちらでも構いません。ただ、子供が洋装の場合には和装の方が格が上になってしまうため、ご両親ともに洋装にします。

 

 

七五三は子供の健やかな成長をお祝いする大切な行事。お参りや写真撮影の手配などが大変かもしれませんが、我が子の成長はやはりうれしいもの。七五三の由来を理解し、この先も健やかに過ごしていけるよう、家族でお参りしましょう。

みなさん、お弁当は好きですか?

お店の中ではなく、職場や外で好きなように食べられ、電車旅やお花見に欠かせないものでもあるお弁当。

ご家庭の手づくりお弁当からやコンビニ弁当、デパ地下の中華弁当、焼肉弁当、はたまたカレーのお弁当まで!

今日ではさまざまなお弁当が見受けられますよね。

 

その中でもよく目にするのが「幕の内弁当」。

でも一体「幕の内」って、何を意味する言葉なのでしょうか?

 

■幕の内弁当の定義

幕の内弁当とは、「俵型の握り飯と数種類の副食(おかず)を詰め合わせた弁当」のことです。

ご飯の上に黒胡麻を散らし、卵焼き・かまぼこ・焼き魚・揚げ物・煮物・漬け物・佃煮などを詰め合わせます。

ごま塩俵握り飯であることは、今日でも大方が継承しています。ただ、おかずはお店によって多少違いがあり、それぞれ工夫を凝らした料理を詰めるようにしています。

駅弁などでは使い捨ての折り詰めに入れられていますが、芝居小屋では重箱に入れられ、容器は食後に回収されることもあります。

こうしてみるとちょっと贅沢なお弁当ですね。

 

■なぜ幕の内弁当というの?

幕の内弁当として売られるようになったのは江戸時代の後期といわれ、

「芝居文化の発展とともにうまれた弁当」として、歌舞伎と深いつながりを持っています。

 

●名前の由来

「幕の内弁当」と呼ばれるようになった由来には諸説あります。

1.芝居興行のときに役者や裏方に出していた弁当をやがて観客も食べるようになり、幕間に食べる弁当だから。

2.役者が幕の内(舞台裏)で食べていた弁当だから。

3.芳町の「万久(まく)」という店が、小さな握り飯にお菜を添えた弁当を売り出したから。

4.相撲取りの「小結(こむすび)」が幕の内力士であることになぞらえて、そう呼ばれるようになったから。

5.戦国時代、戦陣の幕の内で食べた弁当だから。

 

なかでも1,2の説が有力とされており、「幕の内弁当と番付の幕内とは関係がない」との説もあります。
ただいずれにせよ、幕の内弁当は芝居小屋や相撲茶屋など江戸の庶民の娯楽につながっていたことはたしかなようです

 

鉄道が発達すると、幕の内弁当は駅弁の原型として現在のスタイルになりました

旅行や観劇といった、特別な日にも選ばれる幕の内弁当。日本全国、老若男女に根強い人気を誇り、長い間愛され続けているのですね。

 

これから秋の行楽シーズン、幕の内弁当をお供に旅行にでてみてはいかがでしょうか。