「この紋所が目に入らぬか!」の言葉と共に人々の頭上へ掲げられる印籠。

時代劇『水戸黄門』のあまりにも有名なこのセリフとともに毎度登場する、つややかに光るこの印籠がどんな素材でできているか、皆さんはご存知でしょうか?

なんと、多くの実用的な印籠は主に和紙でできているのです!

一見、堅そうで木からできているのかな?と素朴に思ってしまいますよね。

木彫の印籠もあるものの、木は乾燥するとヒビ割れが生じ、さらに経年変化でゆがみやすく、ふたの開閉が困難になってしまいます。印籠は主に屋外へ持ち出して使うため、直射日光が当たり温度差も大きくなります。

そのため、経年変化が少ない上、軽くて丈夫な和紙が採用されているのです。

とはいえ、やわらかな平面であるはずの和紙から、いったいどうやってあのような堅い入れ物ができるのでしょうか?

 

構造からおもしろい印籠

通常3~5段の容器が重なった形をしている印籠。言葉にするとこのようにあっさりとしたものですが、実際の構造と製作の過程をみると、これがなかなかに工夫の凝らされた携帯ケースなのです。

全ての段の両脇に空いた穴へ紐を通すことでひとつにまとめ、その中でスライドさせることで各段を開け閉めします。それぞれの段が下段の蓋になり、ぴったりとはめこまれてコンパクトに収まるようになっています。

身に着けられる装飾品の一つとして、本体に様々な飾り付けもされる印籠ですが、飾りを施す前段階だけでなんと100以上もの工程があるのです。

まず、太さの様々な楕円筒形の長い木の棒を型として、その中から2種類の太さのものを選びます。漆と糊、もしくはそれらを混ぜ合わせたものを和紙に塗り、それをふたつの木型に何層も巻き重ねていくのです(下図内①)。この作業をサビ付けといい、印籠の外枠である段と内側の立ち上がりがそれぞれにできていきます。

そこに、細くまっすぐな竹の幹や、和紙を細い筒状に丸めたものを2本、段の両脇に添えた状態(下図内②)でさらにサビ付けを重ねていきます(下図内③)。しっかりと固定したのち4日ほど乾燥させ、木型から外してさらに1年間乾燥させることで、ゆがみの生じない強度を持ったものに仕上がるのです。

段と立ち上がりを必要なサイズにカットし(図内④)、合口の表面を研いだり漆を塗ったりして整え、ようやく組み立て工程に入ります。薄いヒノキの板を底板として、段に立ち上がりを組み入れます。当時実際に使われていた印籠のパーツの中で、木材が使われているのは基本的にこの部分だけなのです!

そうしてそれぞれの蓋まで閉め、すべてがぴったりと収まるように作るのが職人の腕の見せ所。確認できたら内外に金の梨地※1を蒔き、漆の下地を塗り、蒔絵を施して最後の研ぎ出しをして、ようやく完成に至るというわけです。

木のような堅い素材でできていると思わせる理由は、この漆塗りで表面を美しく整えられるためかもしれません。

印籠の多くは蒔絵によって飾られますが、他にも金工象牙堆朱堆黒※2べっ甲陶磁器水晶ガラスなどなど多彩な素材の装飾が施されているものもあります。

 

※1 梨地(なしじ)…漆を塗り金、銀、錫などの梨地粉を蒔いた上に透明漆を塗って粉の露出しない程度に研ぐ蒔絵技法。梨の肌に似ているところからこの名がある

※2 堆朱(ついしゅ)、堆黒(ついこく)…朱漆もしくは黒漆を厚く塗り重ね、そこに彫刻を施したもの

 

 

実用品から装飾品、そして美術品へ

印籠は、もともとはその名の通りに印鑑や朱肉を入れて置いておくための箱でしたが、やがて腰から下げて携帯されるようになります。そのように持ち運ぶため、印籠を帯に通す際にストッパーの役目をはたす根付と、蓋の開閉をするための緒締(おじめ)とのワンセットで使用されます。中に薬などを入れるようになったのはおそらく戦国時代、戦場に行く武士が持病の薬を持っていくのに使ったのではないかといわれています。

やがて江戸時代になると町人たちの間でも旅道具として老若男女問わず使われるようになり、立派な装飾が施されるようになるにつれ徐々にファッションとしての役割ももつようになったのです。

さらに明治時代に入ると、印籠はほとんど美術品として扱われるようになります。そうして名工たちによる技巧を凝らした作品の数々を蒐集するコレクターたちが、国内外に多数現れたのでした。

印籠は根付や刀装具と同様に手のひらの上で鑑賞する、日本人の美意識が凝縮されたものです。日本のあらゆる工芸の技法が結集されて非常に緻密な世界を作り上げているこの印籠は、残念ながら数多くの作品が海外に流出してしまっているのが現状です。

 

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