日本の匠にクリエイティブの源を聞くインタビュー特集『匠の道』。

第4回から第7回にかけては、北陸新幹線の開業1周年を記念した北陸特集を致します。その1回目に登場していただくのは、陶工房「北陶」(ほくとう)作家、飯田倫久(いいだ・みちひさ)さん。

 

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加賀百万石の城下町、金沢。ここに、その工房はありました。

日本三名園のひとつに数えられる兼六園から歩くこと5分。MRO北陸放送の正面玄関の右手にある、瓦葺きの門をくぐると見えるのは金沢市の指定文化財、松風閣庭園。加賀藩の家老を務めた本多安房守の下屋敷跡でもあったここは「兼六園」の原型になったともいわれています。

 

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この脇に居心地良さそうに構えるのが、陶工房「北陶」。

築300年以上が経った「刀蔵」を改装したものを工房とし、梁や柱はかつてのものが今なお現役。豊かな自然が残る庭園のなかにあってか、金沢市の中心にありながらも、まるで中世までタイムスリップしたかのような錯覚に陥ってしまうほど。

 

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飯田倫久さんは、金沢の歴史が凝縮された美しいこの庭園内で陶器を生み出す作家。

1972年に金沢市で生まれ、1991年に石川県立工業高等学校卒業を機に陶芸家の父、飯田雪峰(いいだ・せっぽう)さんに師事。フランス・イタリア・スペインでの美術研修を経て、世界工芸コンペティションのグランプリ受賞や石川県現代美術展最高賞を受賞するなど、まさしく金沢美術の最前線に立っています。

 

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「北陶」作家、飯田倫久さん

 

金沢といえば有名なのが、九谷焼や大樋焼。

北陶では一体、どのような焼き物を手がけるのでしょう。「うちじゃ、いわゆる〝何々焼き〟という名はないんですよ。父の考えで、土という素材そのものを大事にしたいという思いがある。敢えて言うなら〝土モノ〟というか。きらびやかな九谷の世界とはまた異なる、土の素朴さに目を向けていきたい」と倫久さん。

 

「北陶」工房内の様子。裸電球の優しい光が作陶にしっくりきます
「北陶」工房内の様子。裸電球の優しい光が作陶にしっくりきます

 

なんとも意外な返答ですね。

しかしそんな北陶の志は、倫久さんが手がける一風変わったシリーズから見てとれました。「ぼくは学生の頃、彫刻をやっていたんです。それもあって、いわゆる陶器のほか、オブジェクト的なものも作る。たとえば毎年、干支をデフォルメしたものだとか」

 

そう言って見せてくれたのは、アトリエの作業台でひときわ目を輝かせた、幾匹もの〝猿〟。極端なほど先の伸びた口周り、ころっと小粒のまなこ。まるでアニメの世界から飛び出したかのような表情に、ポージング。

これほど愉快な猿、そして陶器を見たことはありますか?

 

今年、干支シリーズは作っても作っても足りないほどの人気ぶり。「猿は、難が〝さる〟ということで縁起物とされていて。京都御所の鬼門に猿が彫ってあるのも、それが理由のひとつ」
今年、干支シリーズは作っても作っても足りないほどの人気ぶり。「猿は、難が〝さる〟ということで縁起物とされていて。京都御所の鬼門に猿が彫ってあるのも、それが理由のひとつ」
倫久さんが手がけてきた干支シリーズ。「毎年テーマを決めて作っていて。羊はパリコレに出てきそうなイメージで。猿は、旅の途中で〝いいもの見つけた!〟みたいなシチュエーション。始めたのが13年前だから、もう干支を1周しとるね」
倫久さんが手がけてきた干支シリーズ。「毎年テーマを決めて作っていて。羊はパリコレに出てきそうなイメージで。猿は、旅の途中で〝いいもの見つけた!〟みたいなシチュエーション。始めたのが13年前だから、もう干支を1周しとるね」

 

いわゆる伝統技法にこだわることなく、土という素材そのものと向き合う姿勢は別の角度で見たとき、北陶の活動そのものにも表われています。「うちのアトリエでは作家活動のほか、教室もやっていて。石川県民に陶芸を広めるということを、うちの父は続けてきた」

ブランドや作家性よりも大切なのは、陶芸を広めること。これを原点にしながら、北陶は今日も人々と陶器を繋げる役割を果たします。「金沢の文化が素晴らしいのは、市民が趣味で陶芸や生け花、お茶をやる文化が根づいている。それが石川県の深みになっていると思います」

 

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しかし家庭はいまや、プラスチックなどが一般的になりつつあるのも事実。そんな時代において、倫久さんは陶器の存在をどう捉えているのでしょう。

「一番分かりやすい例でいうと、茶道が挙げられる。お茶を立てて、それを渡して、飲んでもらう。お茶席って喋らんがいね? 陶器にお茶を入れて、亭主が心を込めて伝えたいことを込めて、それを飲んでもらう。そしてご馳走様でしたと。そのツールになるのがお茶碗。言葉にできないものを込めて感じてもらうことができるのが、陶器やと俺は思う」

 

「家庭内でいったら、今日もお疲れさまといって、母親が子どもに食事を盛るときに使われるのは大体が陶器。また頑張ってね、といった温もりも込められたツールやと思う」

親と過ごす子ども時代こそ日常の一場面に過ぎない、食卓のワンシーン。その中において、親と子の言葉を越えた繋がりとして、陶器は機能する。

なるほど、すとんと腑に落ちました。

 

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人と陶器の関係について、さらに聞かせてくれました。

「原点は縄文土器にあると思っていて。穀物を保存するため、そして神様に捧げる祭器として縄文土器は作られた。言葉にできんものを捧げる。そういう人と陶器の繋がりが何千年にもわたって伝えられてきた。初めは神様とのコミュニケーションツールだったものが、茶道にも、家庭の一場面にもなっていて。だから陶器は、生活環境と切っても切れない関係やと思う」

 

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倫久さんはどんな質問にも真剣に考え、まっすぐに答えてくれました

 

せっかくなので、陶器の原点でもある縄文土器について、もっと聞きましょう。

かねてより陶芸家に訊いてみたいことがありました。それは陶芸のプロから見て、縄文土器が一体どんなレベルのものなのかということ。

「すごいよ。まず造形性が並外れとる。なかでも火焔式土器とか、火の飛び散る一瞬を見てカタチにしたわけでしょう。当たり前だけど、写真で静止した瞬間が見られるわけでもない時代に」

 

昨年末、葛飾北斎の描いた大波が、現代のハイスピードカメラで写したものと大差ないことが話題になりましたが、さらに数千年を遡る縄文時代からすでに、日本人の写実性が並はずれたものであったことを、倫久さんは瞳を輝かせながら語ってくれました。

 

焼かれる前の陶器にはまだ表情が少なく、どれも同じように見えますが……
焼かれる前の陶器にはまだ表情が少なく、どれも同じように見えますが……
素焼きされたのちに釉薬が施され、さらに火をくぐった陶器はまるで命を得たように輝いています
素焼きされたのちに釉薬が施され、さらに火をくぐった陶器はまるで命を得たように輝きを放ちます

 

話はさらに、陶器と火の関わり合いに続きます。

「焼き物がすごいのは、最後は火に委ねるんやね。窯に入れて焼く。その中は手で触れない。火の神様がいるとしたら、そこに委ねる」

 

「日本には火葬という文化があって。人が亡くなれば、火で燃やすことで天国に行く。でも焼き物は窯に入れたら、美しくなって出てくる。ということは、人の肉体は焼くことで確かに無くなってしまうけれど、本当は目に見えないところで浄化されていくんじゃないか。焼き物にはそういうのが出やすい。そう考えると、素敵やがいね」

 

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陶器は、言葉に代わる感謝の気持ちを、大切な人に捧げるためのツール。

そこに銘柄や作家性は必要なく。土を愛でるところから始め、心を込めて作ろう。それは作家だけでなく、どんな人でも楽しめること。ともに土に触れ、火という素晴らしい大地の力を借りながら、気持ちを詰め、器を作ろう。大切な方をお迎えしたとき、その器を通して気持ちを伝えよう。

 

土に生命の息吹が閉じ込められる現場に立ち会った私たちが目撃したのは、縄文時代から脈々と受け継がれる〝感謝のツール〟としての陶器を大切にする「北陶」のまなざしでした。

 

北陶
http://www.hokutoh.net/

『北陶』は石川県金沢市にある陶工房。3名の作家が在籍し、講師活動の他、自らの作品製作を行なう。また会員制の陶芸教室を月曜日から土曜日まで毎日開催。受講生の中からは多くの陶芸作家を輩出しており、本格的な技術と知識を学ぶことができる。

飯田倫久

1972年 石川県金沢市出身。 1991年 石川県立工業高等学校 工芸科卒。同年、父・飯田雪峰のもと北陶へ。陶芸の道に入る。 日展入選、現代工芸展本会員賞、現代美術展最高賞、 世界工芸コンペグランプリ他、受賞暦多数。日展 会友 現代工芸美術作家協会 本会員。石川県美術文化協会 会員。石川県陶芸協会 会員。金沢工芸協会 会員。