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「壱ポイント」は、伝統工芸品や和雑貨を扱うオンラインショップです。職人や作家の想いを伝え、皆様の生活に豊かさを提供していきます。誕生日・記念日・引き出物・内祝い・入学式・入社式など、特別な機会の贈り物にぜひご活用ください。

- 特集 -

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左から)(株)福富 専務取締役・福富欽也さん、松井機業・松井紀子さん、壱ポイント・田崎拓己、鶴見染飾工芸・鶴見晋史さん北陶・飯田倫久さんが一堂に会しました

日本の匠にクリエイティブの源に迫るインタビュー特集『匠の道』。

第4回からは北陸新幹線の開業1周年を記念した北陸特集として、金沢の陶作家・飯田倫久さん、富山県は城端で機業を営む松井紀子さん、そして金沢で加賀友禅を手がける鶴見晋史さんという3名のアトリエを訪れました。そして、それぞれが家業を継ごうと決意した時のことを起点に、どのように自分なりの道を見つけることができて、そこに喜びを感じられるようになったのか。そうしたお話を聞いてきました。

第7回に当たる今回は北陸特集の総集編として、この皆さんに集まってもらい、ひとつのテーマについて語ってもらいます。実はこの3名、無作為に選ばれた訳ではなく、と或るプロダクトを形にすることを目的に集結した方々だったのです。

それは扇子(せんす)でした。創業290年の歴史を持つ扇子専門店「白竹堂」の京扇子をベースにしながら、扇面の素材には松井機業の「しけ絹」を用い、その上から陶作家の飯田倫久さんがデザインした絵柄を、加賀友禅作家の鶴見さんが描き下ろすという、まさに夢のような至極の逸品が作り上げられていたのです。しかも今回、壱ポイントのためだけのコラボ扇子を手がけてもらうことが実現しました。

シルクの清涼感ある風合いに、<a href=

この発起人となったのは、糸の卸売りを手がける(株)福富の専務取締役、福富欽也さん。今回は福富さんにも参加してもらいながら、皆さんにコラボ扇子の誕生秘話をたっぷりと語ってもらいましょう!

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地元の伝統産業と物作りを

 

——本日は皆さん、お集まり頂きありがとうございます。まず初めに、発起人である福富さんに質問です。今回のコラボ扇子はどんなきっかけから生まれたのでしょうか。

福富欽也「最初はぼくと飯田さんの2人で始めたプロジェクトだったんです。もう7、8年前の話ですが、アパレル向けにストールのデザインと製造を手がけた。そこから次のステップを模索したとき、地元の伝統産業との接点がなかったので、そういったものと接点する物作りをやってみたいと思ったんです。それで飯田さんから……」

飯田倫久「センスある素晴らしい鶴見晋史さんを紹介したのが(笑)、3年前のこと」

——そのときに手がけたのもストールだったのでしょうか?

鶴見晋史「いや、僕のところに声がかかったときは扇子やったんな」

福富「そう、扇子でした。繊細な扇子に〝ぼかし〟を入れたりするとなると、鶴見さんがうまいよと紹介して頂いた」

今回のコラボ<a href=

——なぜ、他でもない扇子だったのでしょう?

福富「先ほど説明しましたように、まずストールを作りましたよね。それを伊勢丹メンズさんでも展開して頂いた。そのとき、ストールだけでなく、例えば友禅の扇子が作れたらおもしろいねという話になったんです。それで扇子メーカーの白竹堂さんは先方に繋いで頂いて、私たちの方では職人さんを集めようという流れになった」

 

〝しけ絹〟製の名刺が縁を繋いだ

 

——なるほど、そうして飯田さんから鶴見さんを紹介してもらったのですね。松井さんはどのようなきっかけで?

福富「松井さんとの繋がりには、ストーリーがあるんです。ストールの生地を探していたとき、東京の(株)シオンテックの菱川恵佑社長から3社を教えて頂いた。そのひとつが松井さんのところだった。で、松井さんの名刺に〝富山県南砺市城端〟と書いてあることに気づいて。城端というと、金沢のすぐ隣り。〝しけ絹〟で仕上げられた松井さんの名刺もインパクトがあって、コレだ!と響いた。それですぐに連絡して会ったんです」

——その出会いから、今回のコラボ扇子に発展していったと。しけ絹が縁を繋いだ。

「はい。今回の扇子にしても、予め用意された生地を使うのもいいけれど、せっかくやるんであれば、地元の生地を使いたい。それで、ストールのときに使った生地、つまりはしけ絹で扇子も作れないかと松井さんに相談したんです」

——福富さんから扇子の提案を受けたとき、皆さんはどんなことを思いましたか?

松井さん「私の場合、こういう機会って、実はなかなかないんです。というのも、金沢の方は富山の人から頼まれると困られるようで(笑)」

一同「(笑)」

「匠の道」第5回でお話を伺った<a href=

松井「そこに福富さんが入って頂いたことで、こんなにも素晴らしい作家さんたちとコラボさせて頂けた。富山県民の私としては、ありがとうございますの一言。扇子のことでいうと、うちは透ける素材というか、薄地のものが得意。それに、変わった扇子が欲しいというマダムがお得意様のなかにもいらっしゃった。それだけに、やってみたいという気持ちは以前からありました」

福富「これが地元でやれなかったら、もったいないなと思ったんです。というのも、うちから松井さんのところまでは車で40分。そんな近くに、これだけの生地を持っている会社があるなんて知らなかった」

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鶴見「加賀友禅の歴史を振り返っても、城端は大切な場所。かつては五箇山で育てた蚕の糸を使って、それを城端で織る。そうしてできた生地を加賀友禅で使っていた時代があったらしいですからね」

福富「しけ絹の扇子は今年、壱ポイントさんとやっていこうというアイディアのもの。扇子の生地選びで難しいのは、いかに風圧を生みだすか。扇子は暑いから仰ぐもの。この風圧の加減においても、しけ絹は優秀な素材だと分かりました」

 

ぼかしに見る日本の情景

 

——城端と加賀友禅には意外な接点があったのですね。それでは飯田さんと鶴見さんに質問です。今回、コラボ扇子のデザインはお二人によって進められたと思います。具体的にどのような進め方をされ、過程においてどんなことを思い、デザインにどんな思いを込めたのでしょう?

「匠の道」北陸特集の第1回に登場した陶芸作家の飯田倫久さん。今回のコラボ<a href=

飯田「僕が扇子のあらゆる面をデザインしたという訳ではなくて。当然のことながら、仙骨は白竹堂がプロフェッショナル。そこはお任せして、僕は鶴見さんとのあいだで、色や絵柄をどんなものにするかを話し合う役割を担いました。今回はお月さんを感じさせる〝ぼかし〟を入れてもらうことにして。こういったグラデーションは侘び寂びに通ずるところもあると思うんです。満月がくっきり見える日よりも、霞みがかって、ちょっと欠けたところに、僕たちは日本の儚い情景を感じる」

鶴見「僕の場合、いつもの加賀友禅で自分でやる分には、自分にとって塗りやすい色、例えば淡い色でしか染めない。でも今回みたいに、飯田さんからこんな風な色にしてという要望があると、最初はエッ?とも思ったけれど、いざ塗ってみると、こういうのもきれいだなとか。一緒にやってみることで、普段とは異なる色に触れられたのはおもしろかったですね」

飯田「今回の扇子においては、着物を着る方だけを想定している訳ではなくて。よりアパレルの目線から意識をしていきました。例えば、普段着ではどういうものが流行っていて、それに合う色はなんやろとか。いまの時代なら、どんな色が表現として出せるのかとか。今回の始まりこそ、メンズに向けた扇子を、というコンセプトでしたけど、最終的には老若男女が気軽に楽しめる普遍的なものに仕上がったんじゃないかと思います」

——絵柄はなにを表わしているのでしょうか。

飯田「黄昏に雲。ライトグレーか白のラインで仕上げてあります」

松井「仕上がりを見て私が感じたのは、昔から南砺には龍が現われると言われていて、まさにそれだなと」

飯田「グラデーションというのは、人によって想像するものが異なる。そこが面白いですよね」

 

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——扇子を開いたときだけでなく、閉じたときの表情もまた美しい。

飯田「扇子は一般的に仰ぐために使うものだけれど、お茶の席では扇子は閉じ、自分の膝前に置く。つまり使うときだけ綺麗なだけでなく、閉じたときも美しくあるべきで、これはその点でもクリアしたのではないかと思います」

——ある種、突き詰めた芸術に値するものを日常生活に取り入れるのには、ちょっとした戸惑いすら感じてしまいそうですが。

飯田「確かに、これを海外に発注してとかではなく、日本の文化と技術が詰まった土地で、幾人もの職人が力を合わせた一品。土地、文化、技術が詰まった、いわば総合芸術のひとつでもあると思います。でも大切なのは、それを使って初めて作品になるということ。工芸品というのは眺めるだけでなく、手にとって使ってこそ価値があるんです」

 

この扇子から北陸の風を感じてほしい

北陸の第一線を切り開かんとする貴重な面々との座談会に、壱ポイント・田崎からの質問にも熱が入ります
北陸の第一線を切り開かんとする貴重な面々との座談会に、壱ポイント・田崎からの質問にも熱が入ります

——これまでにない夢のコラボで革新的なものを生み出してなお、そこに歴史や伝統が浮かび上がるのは素晴らしいことですね。やはり金沢や城端といった土地で生活を営み、感性を磨くことが大切なのでしょうか?

飯田「ぼくは土地というより、環境が大切だと思っています。たぶん城端で糸を作っておられるのは、目には見えないけれど、その糸の中に富山の文化や空気が込められているからで。だから生み出せる。場所が変わったらできない気がしますね」

松井「同感です。私、いま北陸限定のストールとかを作ってるんですけど、敢えて東京や他に持っていかないのは、もちろん私にそこまでの力がないのもあるんですけど、城端までお越し頂いて、私たちの世界観を感じてもらいたいから。うちだけじゃなく、周りも回ってもらいたいですし、なにかを持ち帰ったあとも、その空気感を思い出として感じ続けてもらいたい」

飯田「それは、何百年という長い年月をかけて作られてきた環境ですよね。その時々で流行っているものに左右されるものではなく。例えば自宅に帰れば、玄関には九谷焼の花生けが置かれている。メシを食おうと言えば、手作りのお茶碗と山中塗りの器といった伝統工芸品が、当たり前のように食卓に載っている。当たり前に良いものに接して育ってきた環境はかけがえのないものだと思います」

松井「おうちは三代で出来上がる。建築の棟梁がそう仰っていました。100年掛かりで築き上げられるおうちが、北陸にはある。木を育てて、その木で作るとか。お寺にしても地域の集合芸術。目に見えない歴史がいつの間にか触れられるのは強みかもしれませんね」

飯田「この扇子を仰いだとき、北陸の風を感じてくださいってことやな」

 

北陸の第一線作家たちによる珠玉のひと品「Ka福(かぶく)」は、壱ポイントでの取り扱いを開始しております。父の日の贈り物にもぴったり。さあ、仰げば北陸の風を巻き起こす扇子で、今年の猛暑を爽やかに乗り過ごしましょう。

 

Ka福(かぶく) 扇子

日本が誇る伝統産業「加賀友禅」「京扇子」「城端絹織物」がコラボレーションして作られた扇子です。それぞれの地域を代表する伝統産業が持つ「技」を「扇子」として形ある物に仕上げました。

独特の張りと自然が生み出すシルクの清涼感ある風合いの城端絹織物。それに加賀友禅作家の鶴見晋史氏の美しい染め技術が加わり、老舗の京扇子メーカーにて、丁寧に仕上げております。扇子の骨(扇骨)にも国産の竹を使用し、職人が一本一本手作業で仕上げた、こだわりの逸品です。

素材:絹(扇面)、竹(扇骨) サイズ:長さ約220mm 色:ネイビーブルー



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ネイビーブルー


Ka福(かぶく) 扇子 グレーサックス
グレーサックス


Ka福(かぶく) 扇子 オレンジゴールド
オレンジゴールド

※扇子の通販ページはこちら

 

福富欽也
(株)福富 専務取締役。1971年、石川県金沢市出身。1991年、地元の繊維産元商社 一村産業(株)へ入社。2000年、株式会社 福富に入社。

株式会社福富
昭和26年 福富商店として創業。平成元年に当社設立。企画販売した「金沢 nature dying友禅ストール」は平成24年度 石川ブランドに認定された。

 

鶴見晋史
金沢「鶴見染飾工芸」2代目加賀友禅作家。1969年、加賀友禅作家 鶴見保次の長男として生まれる。日本工芸会正会員・坂井教人氏に師事、東京友禅を学ぶ。1996年、父親で日展作家・鶴見保次氏に師事、加賀友禅を学ぶ。1999年、加賀友禅新作競技会 協同組合加賀染振興協会理事長賞受賞 2000年、石川県伝統産業振興協議会 伝統産業技能奨励者受賞。

公式サイト

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飯田倫久
金沢の陶工房「北陶」作家。1972年 石川県金沢市出身。1991年 石川県立工業高等学校 工芸科卒。同年、父・飯田雪峰のもと北陶へ。陶芸の道に入る。日展入選、現代工芸展本会員賞、現代美術展最高賞、世界工芸コンペグランプリ他、受賞暦多数。日展 会友 現代工芸美術作家協会 本会員。石川県美術文化協会 会員。石川県陶芸協会 会員。金沢市工芸協会 会員。

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松井紀子
富山県南砺市城端で明治10年創業以来、一貫して絹織物業を行なう「松井機業」6代目見習い。東京生活8年目にして、絹織物に魅せられ2010年にUターン。明治10年より続く家業の松井機業を継ぐことに。現場で修業するうちに日に日にものづくりや城端への念が強くなり、城端において仕事に携わっていく喜びを実感している。

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日本の匠にクリエイティブの源を聞くインタビュー特集『匠の道』。

第4回から第7回にかけては、北陸新幹線の開業1周年を記念した北陸特集を致します。その1回目に登場していただくのは、陶工房「北陶」(ほくとう)作家、飯田倫久(いいだ・みちひさ)さん。

 

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加賀百万石の城下町、金沢。ここに、その工房はありました。

日本三名園のひとつに数えられる兼六園から歩くこと5分。MRO北陸放送の正面玄関の右手にある、瓦葺きの門をくぐると見えるのは金沢市の指定文化財、松風閣庭園。加賀藩の家老を務めた本多安房守の下屋敷跡でもあったここは「兼六園」の原型になったともいわれています。

 

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この脇に居心地良さそうに構えるのが、陶工房「北陶」。

築300年以上が経った「刀蔵」を改装したものを工房とし、梁や柱はかつてのものが今なお現役。豊かな自然が残る庭園のなかにあってか、金沢市の中心にありながらも、まるで中世までタイムスリップしたかのような錯覚に陥ってしまうほど。

 

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飯田倫久さんは、金沢の歴史が凝縮された美しいこの庭園内で陶器を生み出す作家。

1972年に金沢市で生まれ、1991年に石川県立工業高等学校卒業を機に陶芸家の父、飯田雪峰(いいだ・せっぽう)さんに師事。フランス・イタリア・スペインでの美術研修を経て、世界工芸コンペティションのグランプリ受賞や石川県現代美術展最高賞を受賞するなど、まさしく金沢美術の最前線に立っています。

 

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「北陶」作家、飯田倫久さん

 

金沢といえば有名なのが、九谷焼や大樋焼。

北陶では一体、どのような焼き物を手がけるのでしょう。「うちじゃ、いわゆる〝何々焼き〟という名はないんですよ。父の考えで、土という素材そのものを大事にしたいという思いがある。敢えて言うなら〝土モノ〟というか。きらびやかな九谷の世界とはまた異なる、土の素朴さに目を向けていきたい」と倫久さん。

 

「北陶」工房内の様子。裸電球の優しい光が作陶にしっくりきます
「北陶」工房内の様子。裸電球の優しい光が作陶にしっくりきます

 

なんとも意外な返答ですね。

しかしそんな北陶の志は、倫久さんが手がける一風変わったシリーズから見てとれました。「ぼくは学生の頃、彫刻をやっていたんです。それもあって、いわゆる陶器のほか、オブジェクト的なものも作る。たとえば毎年、干支をデフォルメしたものだとか」

 

そう言って見せてくれたのは、アトリエの作業台でひときわ目を輝かせた、幾匹もの〝猿〟。極端なほど先の伸びた口周り、ころっと小粒のまなこ。まるでアニメの世界から飛び出したかのような表情に、ポージング。

これほど愉快な猿、そして陶器を見たことはありますか?

 

今年、干支シリーズは作っても作っても足りないほどの人気ぶり。「猿は、難が〝さる〟ということで縁起物とされていて。京都御所の鬼門に猿が彫ってあるのも、それが理由のひとつ」
今年、干支シリーズは作っても作っても足りないほどの人気ぶり。「猿は、難が〝さる〟ということで縁起物とされていて。京都御所の鬼門に猿が彫ってあるのも、それが理由のひとつ」
倫久さんが手がけてきた干支シリーズ。「毎年テーマを決めて作っていて。羊はパリコレに出てきそうなイメージで。猿は、旅の途中で〝いいもの見つけた!〟みたいなシチュエーション。始めたのが13年前だから、もう干支を1周しとるね」
倫久さんが手がけてきた干支シリーズ。「毎年テーマを決めて作っていて。羊はパリコレに出てきそうなイメージで。猿は、旅の途中で〝いいもの見つけた!〟みたいなシチュエーション。始めたのが13年前だから、もう干支を1周しとるね」

 

いわゆる伝統技法にこだわることなく、土という素材そのものと向き合う姿勢は別の角度で見たとき、北陶の活動そのものにも表われています。「うちのアトリエでは作家活動のほか、教室もやっていて。石川県民に陶芸を広めるということを、うちの父は続けてきた」

ブランドや作家性よりも大切なのは、陶芸を広めること。これを原点にしながら、北陶は今日も人々と陶器を繋げる役割を果たします。「金沢の文化が素晴らしいのは、市民が趣味で陶芸や生け花、お茶をやる文化が根づいている。それが石川県の深みになっていると思います」

 

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しかし家庭はいまや、プラスチックなどが一般的になりつつあるのも事実。そんな時代において、倫久さんは陶器の存在をどう捉えているのでしょう。

「一番分かりやすい例でいうと、茶道が挙げられる。お茶を立てて、それを渡して、飲んでもらう。お茶席って喋らんがいね? 陶器にお茶を入れて、亭主が心を込めて伝えたいことを込めて、それを飲んでもらう。そしてご馳走様でしたと。そのツールになるのがお茶碗。言葉にできないものを込めて感じてもらうことができるのが、陶器やと俺は思う」

 

「家庭内でいったら、今日もお疲れさまといって、母親が子どもに食事を盛るときに使われるのは大体が陶器。また頑張ってね、といった温もりも込められたツールやと思う」

親と過ごす子ども時代こそ日常の一場面に過ぎない、食卓のワンシーン。その中において、親と子の言葉を越えた繋がりとして、陶器は機能する。

なるほど、すとんと腑に落ちました。

 

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人と陶器の関係について、さらに聞かせてくれました。

「原点は縄文土器にあると思っていて。穀物を保存するため、そして神様に捧げる祭器として縄文土器は作られた。言葉にできんものを捧げる。そういう人と陶器の繋がりが何千年にもわたって伝えられてきた。初めは神様とのコミュニケーションツールだったものが、茶道にも、家庭の一場面にもなっていて。だから陶器は、生活環境と切っても切れない関係やと思う」

 

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倫久さんはどんな質問にも真剣に考え、まっすぐに答えてくれました

 

せっかくなので、陶器の原点でもある縄文土器について、もっと聞きましょう。

かねてより陶芸家に訊いてみたいことがありました。それは陶芸のプロから見て、縄文土器が一体どんなレベルのものなのかということ。

「すごいよ。まず造形性が並外れとる。なかでも火焔式土器とか、火の飛び散る一瞬を見てカタチにしたわけでしょう。当たり前だけど、写真で静止した瞬間が見られるわけでもない時代に」

 

昨年末、葛飾北斎の描いた大波が、現代のハイスピードカメラで写したものと大差ないことが話題になりましたが、さらに数千年を遡る縄文時代からすでに、日本人の写実性が並はずれたものであったことを、倫久さんは瞳を輝かせながら語ってくれました。

 

焼かれる前の陶器にはまだ表情が少なく、どれも同じように見えますが……
焼かれる前の陶器にはまだ表情が少なく、どれも同じように見えますが……
素焼きされたのちに釉薬が施され、さらに火をくぐった陶器はまるで命を得たように輝いています
素焼きされたのちに釉薬が施され、さらに火をくぐった陶器はまるで命を得たように輝きを放ちます

 

話はさらに、陶器と火の関わり合いに続きます。

「焼き物がすごいのは、最後は火に委ねるんやね。窯に入れて焼く。その中は手で触れない。火の神様がいるとしたら、そこに委ねる」

 

「日本には火葬という文化があって。人が亡くなれば、火で燃やすことで天国に行く。でも焼き物は窯に入れたら、美しくなって出てくる。ということは、人の肉体は焼くことで確かに無くなってしまうけれど、本当は目に見えないところで浄化されていくんじゃないか。焼き物にはそういうのが出やすい。そう考えると、素敵やがいね」

 

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陶器は、言葉に代わる感謝の気持ちを、大切な人に捧げるためのツール。

そこに銘柄や作家性は必要なく。土を愛でるところから始め、心を込めて作ろう。それは作家だけでなく、どんな人でも楽しめること。ともに土に触れ、火という素晴らしい大地の力を借りながら、気持ちを詰め、器を作ろう。大切な方をお迎えしたとき、その器を通して気持ちを伝えよう。

 

土に生命の息吹が閉じ込められる現場に立ち会った私たちが目撃したのは、縄文時代から脈々と受け継がれる〝感謝のツール〟としての陶器を大切にする「北陶」のまなざしでした。

 

北陶
http://www.hokutoh.net/

『北陶』は石川県金沢市にある陶工房。3名の作家が在籍し、講師活動の他、自らの作品製作を行なう。また会員制の陶芸教室を月曜日から土曜日まで毎日開催。受講生の中からは多くの陶芸作家を輩出しており、本格的な技術と知識を学ぶことができる。

飯田倫久

1972年 石川県金沢市出身。 1991年 石川県立工業高等学校 工芸科卒。同年、父・飯田雪峰のもと北陶へ。陶芸の道に入る。 日展入選、現代工芸展本会員賞、現代美術展最高賞、 世界工芸コンペグランプリ他、受賞暦多数。日展 会友 現代工芸美術作家協会 本会員。石川県美術文化協会 会員。石川県陶芸協会 会員。金沢工芸協会 会員。

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「一度は訪れたい、日本のいいところ」を実際に訪れ、その町の様子を紹介する「和さんぽ」。第1回目の訪問地は、三重県の伊勢です。

 

東京方面からならば、東海道新幹線に乗り、名古屋で乗り換えて約3時間。関西方面からならば、京都や大阪から近鉄特急に乗り、約2時間。

新幹線と電車に揺られ、降り立ったのは伊勢市駅。これから、伊勢の魅力を探す旅がはじまります。

伊勢神宮は外宮→内宮の順に

伊勢といえば、誰もが思い浮かべるのは、伊勢神宮への参拝。
伊勢に来たからには、はずせないその場所を、まずは目指すことにしました。

 

伊勢神宮は正式には「神宮」といい、通称、内宮(ないくう)といわれる皇大神宮(こうたいじんぐう)と、通称、外宮(げくう)といわれる豊受大神宮(とようけだいじんぐう)を中心とする125のお社(やしろ)の総称のことをいいます。

そして、参拝の順番には決まりがあり、外宮、内宮の順に行うのがならわし。そのため、外宮の最寄り駅である伊勢市駅に降りたというわけなのです。

 

下宮の入口につながる火除橋(ひよけばし)に到着したら、鳥居をくぐる前にしなくてはいけないのが、手水舎で心身を清めることです。

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手水舎での作法は、柄杓(ひしゃく)で水をすくったら、左手、右手の順に洗い、左手に水を受けて口をすすぐ。左手をもう一度洗い、最後に柄杓を垂直に立てて柄をすすぐ

いざ鳥居をくぐり、敷き詰められた玉砂利を踏みしめながら参道をしばらく歩くと、正宮(しょうぐう)にたどり着きます。

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参拝の仕方は、「二拝二拍手一拝」が基本。まず深々と礼を2回したら、両手を合わせて右手を少し下げ、パンパンと2回手を打つ。最後にもう一度、礼を深く1回する

ところで、正宮には、おさいせん箱が設けられていないことをご存知でしょうか。

それは、かつては天皇陛下以外のお供えが許されていなかったため、今もその名残で設置されていないのだといいます。代わりに白い布が敷かれているので、おさいせんはそこに納めます。

お参りというと、ついつい私利私欲を出して、あれこれお願いごとをしてしまいがちですが、正宮での個人的なお願いは避けましょう。

 

とはいえ、がっかりすることはありません。
個人的なお願いごとは、同じ敷地内にある多賀宮(たかのみや)でするとよい、といわれているのです。

その多賀宮は、正宮の向かいの脇道をしばし進むと98段の石段があらわれ、それを上った先にあります。

長い石段を上りきると下宮が見渡せるので、参拝したあとは、上からの下宮の姿を目におさめてほしい
長い石段を上りきると下宮全体が見渡せるので、参拝したあとは、上からの下宮の姿を目におさめてほしい

次に向かうは、皇室の御祖神(みおやのかみ)である天照大御神(あまてらすおおみかみ)が祀られている内宮。

内宮の表玄関に当たる宇治橋は「神聖な世界への架け橋」といわれています。

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宇治橋の両端には、それぞれ大きな鳥居が立っていて、正面から向こうを見ると、約100メートル先にもう一方の鳥居が小さく見える

下宮と同じように、参道、手水舎の順に歩みを進め、いくつもの鳥居をくぐり、正宮を目指します。

「鳥居をくぐるたびに、神様に近づく」というのを何かで読んだことがありますが、実際に歩いていると、まさにその通りだと感じ、身が引き締まる思いがします。

 

そんなことを考えていると、石段が目に入ってきました。その石段を上りきった先にあるのが正宮です。

参拝をするところには、御帷(みとばり)と呼ばれる白い布がかけられており、どこからともなく吹く風でゆらゆらと揺れていた
参拝をするところには、御帷(みとばり)と呼ばれる白い布がかけられており、どこからともなく吹く風でゆらゆらと揺れていた

下宮と同じく「二拝二拍手一拝」で参拝を終えたら、正宮の次に格式が高いといわれる荒祭宮(あらまつりのみや)へ。

困ったときに助けてくれたり、長生きさせてくれたりする神様として地元では崇められているそうです。

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参拝を終えたら、木々の葉で覆われていて気持ちのいい参道をゆっくり歩いて、玄関口である宇治橋へと戻ろう

ここで、伊勢神宮ならではの祭りごと「式年遷宮(しきねんせんぐう)」についても軽く触れておきましょう。

式年遷宮とは、20年に一度、神様の住まいを造り替え、神様が引っ越しをするというもの。これには、なんと8年もの歳月を費やし、30以上ものお祭りや行事が行われるというから驚きです。

 

伊勢神宮は、社殿ひとつをとっても、使用木材はどこで手に入れるのか、どんな樹種が使われるのか、どうやって運ばれるのか、どんな建築様式で建てられるのかなど、興味はこと欠かないし、内宮と下宮を対比させて見るのもおもしろいものです。

こうしたさまざまな知識が増えると視点も変わるでしょうし、次の式年遷宮までの20年の月日の間に経年変化をして、深みの増した姿を見るのも楽しみのひとつでしょう。

何度も訪れたくなってしまう理由は、そんなところにもあるのかもしれません。


左右に店が連なる楽しい「おはらい町」

内宮の目の前にある「おはらい町」は、五十鈴川(いすずがわ)に沿って約800メートルも続いていて、多くの人でにぎわう通りには、たくさんの魅力的な店が立ち並んでいます。

江戸時代には、御師(おんし:神宮と全国の信仰者の間をとりもった人のこと)の館がこの通りに多くあり、御師は、神宮に代わって、おはらいや歌舞などによる祈祷を行ったことから「おはらい町」と呼ばれているそうです。

江戸時代の町並みを再現したという「おはらい町」は、レトロな雰囲気
江戸時代の町並みを再現したという「おはらい町」は、レトロな雰囲気

おはらい町には、飲食店やみやげもの店が数多く立ち並び、多くの人でにぎわっていました。

伝統工芸品である伊賀くみひもの「くみひも平井」や、松坂もめんを使った製品がそろう「もめんや藍」をのぞいたり、伊勢名物のういろ(米粉に砂糖などを加えて蒸した菓子で、もちもちとした食感が特徴)が手に入る「虎屋ういろ」でおみやげを買ったり、懐かしいだるま落としやけん玉、こまなどの伊勢玩具にふれたりしながら歩くと、あっという間にときが過ぎてしまいます。

 

途中、藤屋窓月堂の伊勢銘菓「利休饅頭」を買って、みんなでひと口ずつ味見。仲間との旅ならば、こんなふうにちょこっと食べができて、それもまた、旅の思い出になり、楽しいものです。

おはらい町では、この地特有の建築様式が見られ、景観を損ねないよう、郵便局やコンビニエンスストア、銀行までもまわりとなじむ造りになっているので、どこに潜んでいるのか探しながら歩くのも、楽しみのひとつです。

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本を伏せたような形の三角屋根で、入口は屋根が三角形に見える側のほうにある。こうした建物(切妻・妻入り様式)は、この地特有のもの
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おはらい通りにある銀行のATMの利用明細は、なんとおみくじつき! 裏を見ると運勢が書かれている

おはらい町のちょうど真ん中で、ひと際にぎわいを見せるのが「おかげ横丁」です。ここにも、名産品や工芸品、おみやげものなどを扱う多くの店が軒を連ねています。

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夕日を浴びる「おかげ横丁」。横丁の名前は、伊勢さんの「おかげ」という感謝の気持ちを込めてつけられたそうだ
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江戸時代の「おかげ参り」のころを再現したという町並み。当時の雰囲気を味わいながら買いものが楽しめる

海藻類の専門店「みえぎょれん販売」に、あおさのりを求めて立ち寄ると、「生産量は三重が日本一で、全国の60%くらいを占めているのよ。みそ汁に入れるのは定番だけど、軽く戻して絞り、野菜と合わせてかき揚げにするのもおいしいわよ」なんていう話を聞くことができました。

 

「伊勢醤油本舗」では、三重県産の豆、小麦にこだわって仕込んでいるという伊勢醤油を発見。味見をさせてもらうと、香りが高く、塩味だけが主張するのではなく、バランスのとれたまろやかさを感じました。

そして、手軽な小瓶をおみやげに、と1本購入したのでした。

伊勢醤油本舗の店内には、しょうゆのビンがずらりと並ぶ。この地の原材料を使ってこの地で仕込むから、地酒ならぬ「地醤油」なのだそう
伊勢醤油本舗の店内には、しょうゆのビンがずらりと並ぶ。この地の原材料を使ってこの地で仕込むから、地酒ならぬ「地醤油」なのだそう

昼食とおやつは伊勢の名物を。
夕食は地元の人おすすめの料理屋へ

旅といえば、食事も楽しみのひとつです。

昼食は、おはらい町通りの中ほどにある、てこね寿しの「すし久」へ。てこね寿しは、伊勢の郷土料理のひとつで、昔、この地の漁師さんが釣ったかつおを船上でさばいてしょうゆに漬け、すしめしとかつおを手で混ぜて食べたことが名前の由来とされているそうです。

しょうゆがしみた分厚いかつおがたっぷり。下には青じそを混ぜた香りのよいすしめしが詰まっていている
しょうゆがしみた分厚いかつおがたっぷり。下には青じそを混ぜた香りのよいすしめしが詰まっている

すし久は、味はさることながら、その趣のある建物にも興味をそそられます。

それもそのはず、この建物は明治2年の式年遷宮のときに出た宇治橋の古材を使って建てられているのだそう。明治時代の参拝者が歩いただろう橋の材が、もしかしたら床板になり、私たちも歩いているかもしれないと想像すると、なんともロマンがあります。

 

おやつにと立ち寄ったのは、伊勢に本店をかまえる「赤福」。ここでは、冬限定の赤福ぜんざいをいただきました。

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あっさりとした甘さで、粒あん仕立て。焼きもちが香ばしい。カリカリ梅と塩昆布が口直しとしてつく

ところで、赤福には、月に一度だけしか販売しない「朔日餅(ついたちもち)」があるということをご存知でしょうか。

伊勢には、毎月1日に神宮に参拝するという「朔日参り」という風習があり、このときにだけ販売されるのが、かの朔日餅なのです。

ラインナップは毎月変わるため、全部で12種。伊勢の人もお気に入りの月があるそうで、何千人もの人が五十鈴川に沿って列をなし、整理券も配られるほど大人気なのだと、地元の人が教えてくれました。

 

夕食は、タクシーの運転手さんおすすめの、魚がおいしく食べられる日本料理店「倭庵黒石(やまとあんくろいし)」へ。

もし少人数で訪れたならば、この店はカウンターに座るのがおすすめです。なぜならば、とても気さくなお店の大将と仲よくなれるからです。

偶然とはいえカウンターに案内されたわたしたちも、おいしい料理に舌鼓を打ちながら、大将との会話を楽しんだのでした。

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伊勢に来たからにはと伊勢海老の刺し身を注文したが、店の大将曰く「伊勢は牡蠣やふぐ、あわびもうまいよ」。伊勢海老の殻ではみそ汁を作ってくれる

閉店の時間も近づき、そろそろ失礼しようと席を立つと、「宿まで送っていくよ」と大将。

その親切がとてもうれしかったので、車内で礼をいうと、「親切だと喜んでくれるならば、それを次の誰かにすればいいんだよ」と、なんともかっこいい返事。

 

食事にきたのをきっかけに、こうして仲よくなれるのは、なにものにも代えがたい喜びで、「旅の楽しみはやはり地元の人との触れ合いだ」と確信したのはいうまでもありません。


伊勢の見どころ、寄り道どころ

伊勢の人がよく訪れるという「松尾観音寺」。

ここは日本最古の厄除観音といわれ、龍神伝説(寺が火災にあったときに、本堂裏の龍神池から雄と雌の龍神様があらわれ、観音様を助けたという伝説)でも有名な寺です。

手水舎にも龍神様がおり、ここが龍神伝説で有名な寺であることがうかがえる

ここへ来た目的は、本堂の床に龍の顔が浮き立って見えるという不思議な現象を見るためです。参拝を行い、噂の龍を探すと、向かって右手側に龍の姿が浮き出た床板が目にとまりました。

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本堂の床板に浮き立った龍。自然の木目でできたものだが、寺の方は、ときを追うごとに段々とはっきりしてきたように感じるそうだ

「踏んでしまうから囲ったらどうだ、というご意見もいただくのですが、床板に浮き出てきたのは何かのメッセージだと思っているんです。足元を正していきましょうとか、自分の足で歩んでいきましょうとかね。だから知らずに踏んでしまうのはきっとお許しくださると思っています」と、寺の方が話してくれました。

 

ちょっと寄り道するならば、河崎界隈の町並みもいいでしょう。

河崎は、伊勢市を流れる勢田川(せたがわ)の水運を使用して多くの問屋さんが立ち並び、かつてにぎわいを見せたところです。今でも、古い蔵などが残っていて、当時の面影をうかがい知ることができます。

昔の蔵を利用した喫茶店。ほかにも、古本屋や飲食店など、蔵を再利用した店舗がちらほら見られる
昔の蔵を利用した喫茶店。ほかにも、古本屋や飲食店など、蔵を再利用した店舗がちらほら見られる
かつての蔵などを利用した建物には解説の看板があるので、それを読みながら歩くといいだろう
かつての蔵などを利用した建物には解説の看板があるので、それを読みながら歩くといいだろう

河崎では、ふいに地元のお母さんに声をかけられました。

初代が米問屋で、明治期に建てられた母屋に今も住んでいるというので、伊勢に着いたときからずっと気になっていた、家々の軒先でよく目にする「しめ飾り」について聞いてみたところ、こんなことを教えてくれました。

「お正月も過ぎたのにずっと飾っているのは不思議かもしれないけれど、これは、このあたりの風習なのよ。12月の暮れに新しくして、1年間ずっと飾ったままにしておくの。無病息災や家内安全の願いを込め、厄除けとして飾るの」

中央の木札には、「蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんかもん)」、「笑門」、「千客萬来」などが墨で書かれている

お母さんと別れて歩いていると、今度は自転車に乗ったお父さんから「案内をしようか」と声がかかりました。どうやら伊勢は、とても気さくな人が多いようです。

お父さんのおすすめは、「相当古いよ」という老舗和菓子屋「幡田屋(はりたや)」。「そうそう、あそこは包装紙がすてきなんだ。もらいに行ってきな」と促され、おいしそうな和菓子を買い、包装紙を1枚いただきました。

それは、金の線で江戸時代の伊勢の地図が描かれた、美しい藤色の包装紙でした。

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趣のある造りの幡田屋。江戸末期に、参拝客をもてなす茶屋として創業したそうだ

お父さんが河崎にきたらここにという一軒は、せともの屋の「和具屋」。家の外にある看板によると、母屋と土蔵は1757年の建築。

「今から250年以上も前なんだからすごいだろ? アメリカの建国よりも前なんだから」というお父さんの言葉に妙にうなずいてしまうのでした。

店の入口から蔵の奥までは64メートルもあるそうだ。どこまでも続く細長い通路の左右にはせとものなどが所狭しと置かれていた
店の入口から蔵の奥までは64メートルもあるそうだ。どこまでも続く細長い通路の左右にはせとものなどが所狭しと置かれていた

伊勢の旅のアドバイス

  • 下宮と内宮の参拝は時間配分に気をつけて

下宮も内宮もしっかり見ようと思うと時間がとてもかかるので、時間が限られている旅では、時計と相談しながら行動するように気をつけましょう。

 

  • 下宮と内宮の参拝は案内人と回るのもおすすめ

下宮や内宮を歩いていると、「お伊勢さん観光案内人」と書かれたはっぴを着ている人を見かけます。

こうした案内サービスを利用すると、知らないことを教えてくれたり、疑問に答えてくれたりするので、自分たちだけで回るのとは違うおもしろさが味わえるのがいいところ。

無料のものもあるし、外国人に対応してくれるところもあります。

 

  • おはらい町は夕方には店じまい

おはらい町あたり一帯は、夕方4時半くらいから徐々に店じまいがはじまり、5時半も回るころには、ほぼ閉まってしまいます(8、9月の夏場は、夕方6時まで営業)

ゆっくり見ていると、あっという間に時間が過ぎてしまうので、買いそびれのないように、計画的に歩きましょう。

 

  • 宿泊は1泊2日か2泊3日

伊勢神宮とその周辺だけを回るならば1泊2日あれば十分足りるでしょう。しかし、さまざまな寺社を巡りたい人や、ひとつひとつをじっくり見たい人はもう1泊するか、帰りの新幹線や電車の時刻を遅くするのがおすすめです。